東京市の阻水弇
1878年(明治11年)7月22日、東京府は府下を15区6郡に分けました。この15区を市域として1889年(明治22年)5月1日に東京市が誕生しました。そして同年12月の市会で市章が制定されました。この市章は現在でも東京都の紋章として使われているものです。
その後、1920年(大正9年)4月1日に豊多摩郡内藤新宿町を四谷区に編入、1932年(昭和7年)10月1日に隣接5郡82町村を編入し35区となりました。1936年(昭和11年)10月1日に北多摩郡砧村と千歳村が世田谷区に編入され、現在の東京23区が市域となりました。戦時中の1943年(昭和18年)7月1日に東京府と統合されて東京都になりました。
渋谷区桜丘町に東京市章が描かれている「阻水弇」が残っています。この蓋の表面にはアスファルトカッターによる直線状の傷がありますが、文字は判読できます。
林丈二氏の著書「マンホールのふた(日本編)」によりますと昭和11年頃の東京市水道局の仕様書では「制水弇」となっており、「阻水弇」の呼称はそれ以前のものであるとのことです。また、この蓋のある場所は1932年までは豊多摩郡澁谷町だったところです。澁谷町では「澁谷町水道」として1923年(大正12年)5月に給水が開始されています。
以上のことから、この蓋は1933~35年頃に設置されたものと推測できます。
【参考】
[ 15区6郡 ]
区:麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、
小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区
郡:荏原郡、東多摩郡、南豊島郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡
[ 隣接5郡 ]
荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡
[ 35区 ]
麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、
小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区、品川区、荏原区、目黒区、
大森区、蒲田区、世田谷区、渋谷区、淀橋区、中野区、杉並区、豊島区、滝野川区、
荒川区、王子区、板橋区、足立区、向島区、城東区、葛飾区、江戸川区
【2010年11月3日追記】
街路整備事業により最近撤去されてしまいました。
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