京王電軌時代の架線柱【10】
東京電力の一の宮線は22kVの送電線で、東京電力車返変電所と京王新高幡変電所の間を結んでいました。
● 武蔵野台~多磨霊園
多磨霊園駅から新宿方面に線路沿いに進んだ所に「一の宮線6」の鉄塔がありました。この鉄塔の中ほどには架線を支持していた横桁を切断した跡が残っていました。すぐ傍の鉄骨製架線柱は平成4年9月建柱の「武蔵22」架線柱です。
その先には「一の宮線5」鉄塔がありました。こちらも架線柱としてはすでに使われていませんでした。こちらは横桁の切断跡は残っていませんでした。この付近にある「武蔵19」架線柱はコンクリート柱、「武蔵20」架線柱は鉄骨柱ですので、架線柱としての用途廃止は「一の宮線5」の方が早かったかもしれません。
京王線が西武多摩川線をオーバークロスするところに「一の宮線2」の門型鉄塔がありました。架線柱としての機能は手前にある鋼管製架線柱「武蔵14」(2005年1月建柱)に移っていて、この鉄塔はすでに架線柱としては使われていませんでした。奥に見える高い門型鉄塔は東京電力の「稲田線1」鉄塔で、架線柱と兼用していました。
この場所は、
- 一の宮線(東京電力車返変電所~京王新高幡変電所)
- 稲田線(東京電力車返変電所~京王西調布変電所~東京電力稲田変電所)
- 車返線(東京電力車返変電所~東京電力三鷹変電所)
- 国分寺線(東京電力多摩変電所~東京電力北多摩変電所)
- 境八王子線(JR東日本武蔵境交流変電所~JR東日本八王子変電所)
の送電線が錯綜していた場所です。このうち京王線上を通っていたのは一の宮線と稲田線ですが、一の宮線は廃線、稲田線は西調布変電所までは送電線が撤去されています。また車返線と国分寺線は西武多摩川線上を通っています。
● 聖蹟桜ヶ丘付近の一の宮線
銘板では京王電軌時代のものとは確認できなかった一の宮線の鉄塔たちの記録です。
一の宮線は多摩川鉄橋と聖蹟桜ヶ丘駅の間にあった門型鉄塔で地下に潜っていました。現在では、この門型鉄塔は撤去され、土台のコンクリート部だけが残されています。
一の宮線は聖蹟桜ヶ丘西方にある東京電力聖蹟桜ヶ丘変電所脇の「一の宮線90」で再び地上に出ていました。この鉄塔の形状は聖蹟桜ヶ丘~百草園間の鉄塔と同じですが、銘板には平成10年3月の建柱年月が書かれています。
すぐ傍の線路脇には「桜ヶ丘12」架線柱と兼用していた「一の宮線91」鉄塔があります。「桜ヶ丘12」の銘板にある建柱年月は昭和55年11月となっています。この架線柱は下半分が太い鋼材、上の鉄塔部分が細い鋼材で組み立てられていましたので、架線柱を立て直した際に、従来の鉄塔部分を上に継ぎ足したと考えられます。
【関連記事】
京王電軌時代の架線柱【1】(布田~調布、千歳烏山~仙川) (2005.02.19)
京王電軌時代の架線柱【2】(千歳烏山駅構内) (2005.03.12)
京王電軌時代の架線柱【3】(布田~調布) (2005.03.21)
京王電軌時代の架線柱【4】(柴崎~国領) (2005.04.18)
京王電軌時代の架線柱【5】(分倍河原駅構内、中河原~百草園) (2005.05.06)
京王電軌時代の架線柱【6】(上北沢駅構内、東府中駅構内) (2005.06.20)
京王電軌時代の架線柱【7】(千歳烏山~仙川) (2005.08.08)
7000系8+2の特急・準特急と一の宮線 (2010.06.07)
京王電軌時代の架線柱【8】(東府中駅構内) (2010.06.08)
京王電軌時代の架線柱【9】(府中~分倍河原、百草園駅構内) (2010.08.25)
| 固定リンク
「 京王」カテゴリの記事
- HUGHUG 1周年(2019.03.31)
- 2.22ダイヤ改正【HM続編】(2019.03.06)
- 都営車のRWC2019編成(2019.02.23)
- 1/3の奇妙な手紙【都営線】(2019.02.24)
- 2.22ダイヤ改正【概要 & HM編】(2019.02.22)
「 送電線」カテゴリの記事
- 津田山駅と日本ヒューム管(2017.11.21)
- 銀蔵橋と高井戸線(2015.02.16)
- 川世線No.37鉄塔とNo.38鉄塔のその後(2013.09.12)
- 川世線の新No.38鉄塔(2013.04.30)
- 京王線開業100周年(2013.04.16)