京王電軌時代の架線柱【9】
● 府中~分倍河原
京王電軌時代の架線柱【8】で書きましたが、東府中の府中方にあった「一の宮線17」の鉄塔で地下に潜った東京電力一の宮線の送電線は府中の高架線を下ったところにあった「一の宮線41」で再び地上に出ていました。
「一の宮線44」の鉄塔は曲線の途中にあった関係で、線路の反対側にある鉄柱とワイヤーで結ばれていました。この鉄塔のすぐ傍にある架線柱は「府中18」で昭和61年4月の銘板が付いています。この「府中18」架線柱が建てられるまでは、「一の宮線44」の鉄塔と架線柱が兼用されていました。
分倍河原駅の府中寄りにある旧甲州街道の踏切の前後には、一の宮線の鉄塔と兼用されていた門型の架線柱が2基ありました。写真手前の「70」の速度標が付いている架線柱は「分倍1」です。この区間にある一の宮線の鉄塔の建柱年月は昭和16年12月となっています。
● 百草園駅構内
玉南電鉄開業時の大正14年3月に建てられた「一の宮線105」の鉄塔は線路から離れた場所にありました。これはホーム延伸時に曲線半径の緩和工事が行われた関係によるもので、元々は架線柱と兼用していました。緩和前の線路敷の跡は駐輪場として利用されています。
ホームの中ほどにある「百草園5」架線柱は、「一の宮線106」鉄塔と兼用していましたが、下り線側の柱はコンクリート柱に置き換えられていました。これはホーム延伸時に鉄塔と兼用していない下り線側の柱を移設したからと考えられます。
ホームの八王子方先端にある「百草園8」は、「一の宮線107」と兼用の門型鉄塔となっていました。「百草園8」の銘板には建柱年月が書かれていませんが、「一の宮線107」の銘板の方には大正14年3月の建柱年月が記載されていました。
八王子方の踏切の先には「百草園9-1」架線柱があります。これも「一の宮線108」と兼用の門型鉄塔でした。この区間の門型鉄塔は2基のみで、次の「一の宮線109」から、一の宮線は上り線側に戻ります。
これらの鉄塔も現在では、単体のものは解体、兼用のものは上部が撤去されてしまいました。
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