東京府の土地境界標
東京都立砧公園の西隣にある世田谷区立大蔵運動公園のアスレチック広場の片隅に東京府の土地境界標が建っています。
境界標の赤色で塗られていて上面は大分削れています。表面には「東京府」の文字、裏面には東京府の府章がそれぞれ刻まれています。
アスレチック広場前の道路が仙川の崖線を下っていく途中にも境界標があります。こちらも表面には「東京府」、裏面には府章が刻まれています。
都立砧公園は、紀元2600年記念事業の一環として東京府により都市計画決定された大緑地が前身となっています。これは昭和15年(1940年)4月1日に改正された都市計画法に基づくもので、砧、神代、小金井、舎人、水元、篠崎の6ヶ所の大緑地のうちの1つです。そして昭和16年(1941年)11月に改正された防空法により、昭和18年(1943年)3月に防空空地帯として指定されました。戦後は都営のゴルフ場として使われていましたが、昭和32年(1957年)4月1日に公園として開園しました。
世田谷区立大蔵運動公園は昭和37年(1962年)12月にできていますが、境界標の位置から東京府の砧大緑地が前身であるといえます。
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