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代々幡町水道の制水弇【2】

目黒区大橋の警視庁第三機動隊と世田谷区池尻の駒場東邦中学・高校の間の道にも代々幡町水道の制水弇が残されています。

風景

制水弇

この制水弇は渋谷区笹塚の制水弇より1回り大きいものです。そのデザインは代々幡町水道の紋章の中に「制」と「弇」の文字が描かれていて、紋章を「水」の文字に見立て、右から「制水弇」と読ませるようになっています。

戦前、目黒区内は目黒町水道(大正15年4月給水開始、昭和7年10月1日に東京市水道局に併合)、世田谷区の旧世田谷町内は日本水道株式会社(昭和7年10月1日給水開始、昭和20年4月1日に東京都が買収併合)の給水区域で、代々幡町水道の給水区域ではありませんでした。

また、この一体には陸軍近衛輜重兵大隊が駐屯していました。昭和11年6月11日に陸軍によって撮影された空中写真でもこの道の存在が確認できますが、軍用地内であるため水道管が敷設されていたとは考え難い状況です。

これらのことより、戦後この道に水道管を敷設した際に、余剰となっていた代々幡町の制水弇蓋を流用したと考えられます。「マンホールのふた<日本篇>」によりますと目黒区の目黒不動付近と世田谷区の駒沢給水場前でも流用されていたようです。

なお、渋谷区笹塚の制水弇は2011年3月14日時点で現存しているのを確認しています。

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