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千駄ヶ谷町のマンホール

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明治22年(1889年)5月1日に東京府南豊島郡の千駄ヶ谷村、原宿村、穏田村の3村が合併して千駄ヶ谷村が誕生しました。明治29年(1896年)4月1日に南豊島郡と東多摩郡が合併し豊多摩郡千駄ヶ谷村、明治40年(1907年)4月1日に町制を施行して豊多摩郡千駄ヶ谷町となりました。その後、昭和7年(1932年)10月1日に東京市に編入され、澁谷町、代々幡町と合併し渋谷区になりました。

風景

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この千駄ヶ谷町の下水道マンホールが渋谷区千駄ヶ谷4丁目の住宅街の中に残っています。蓋の模様は東京市型と呼ばれるJIS標準模様で、中央部分に町章と思われるものが描かれています。この蓋は「マンホールのふた<日本篇>」(林丈二氏著)に掲載されているものと同じです。

「昭和12年度 東京市市政年報(下水道篇)」の第二章第三節「新市域に於ける舊各町別下水道設計」には千駄ヶ谷町の記述はなく、第三章第五節「郊外下水道調査」の節には渋谷区全域で枝線網までの明細な調査が完了したとだけ書かれいます。「マンホールのふた<日本篇>」(林丈二氏著)には、大正13年(1924年)に設計完了しているが施工記録はないと書かれていますが、蓋の裏側には「昭和6年茂又」の文字が浮き出ているとのことです。

これらのことから、昭和6年(1931年)にマンホール蓋が製造され、昭和13年(1938年)以降に設置されたと考えられます。

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【2011.12.19追記】
記事の一部を修正しました。「千駄ヶ谷町のマンホールとセンホール焼」も合わせてご覧ください。

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