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渋谷町水道のマンホール

明治22年(1889年)5月1日に東京府南豊島郡の上澁谷村、中澁谷村、下澁谷村と東京府赤坂区の澁谷宮益町等、東京府麻布区の澁谷神原町、麻布廣尾町等が合併して澁谷村が誕生しました。明治29年(1896年)4月1日に南豊島郡と東多摩郡が合併したため、豊多摩郡澁谷村、明治42年(1909年)1月1日に町制施行して豊多摩郡澁谷町となりました。その後、昭和7年(1932年)10月1日に東京市に編入され、代々幡町、千駄ヶ谷町と合併し渋谷区になりました。

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大正6年(1917年)10月21日の澁谷町会で町営水道敷設が決議され、調査が行われました。敷設計画では、多摩川の伏流水を水源とし、北多摩郡砧村字鎌田に設置された浄水場から荏原郡駒澤村字新町の配水塔に高揚ポンプで導水するようになっていました。

大正10年(1921年)5月8日に起工し、大正12年(1923年)5月1日に町内の一部に給水を開始しました。そして大正13年(1924年)9月に全工事が竣工しました。大正15年(1926年)4月には目黒町水道に浄水の供給を始めました。その後、関東大震災の避難者の移住により人口が急増したため、昭和6年(1931年)3月に第1期拡張工事に着手しました。昭和7年(1932年)10月1日の東京市編入により水道事業は東京市水道局に引き継がれ、拡張工事は昭和8年(1933年)3月に竣工しました。

風景

manhole

世田谷区鎌田2丁目の東京都水道局砧下浄水所に澁谷町水道のマンホールが残っています。蓋は荒玉水道と同じく名古屋市型で、中央部分に「澁」の字を図案化した澁谷町章?があります。この写真は敷地外から撮影しています。

風景

砧下浄水所近くの多摩川の堤防上に取水管用の空気弁塔も残っています。また浄水所内には竣工当時の建築物も残っているそうです。マンホールの蓋も含めたこれらの構造物が大正末期の産業遺産として末永く保存されることを願って止みません。

なお、昨年夏頃まで現存していた渋谷区桜丘町の東京市の阻水弇は第1期拡張工事の昭和8年(1933年)初め頃に設置されたものと考えられます。

【参考文献】
"澁谷町水道", 土木學會誌, 第9巻第2号, pp.417-430(大正12年4月)
澁谷町臨時水道部 『施工中に在る澁谷町水道』 大正11年12月22日
東京市役所 『東京市市政年報 水道篇 昭和十二年度』 昭和14年3月

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