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東京市のマンホール【2】

中華人民共和国駐日本国大使官邸近くの港区元麻布2丁目の住宅街に東京市の鉄製人孔縁塊付マンホールが2個残っています。

mark

manhole

デザインは東京市型と呼ばれるJIS標準模様で、中央部分のマークは下水道局徽章です。この徽章は明治44年(1911年)10月26日に制定されたもので、東京都下水道局に引き継がれています。このため蓋のデザインや徽章だけで東京市のものか東京都のものか判断することは困難です。

昭和43年(1968年)以前の蓋に描かれている徽章は、線が太く、6本の放射線が短くなっています。そして徽章の中心は●で、そこに空気孔が開いています。ところが元麻布の蓋の場合、徽章の線が細く、中心は○で、凹部に空気孔がある等、細部が異なっています。

風景

このマンホールについている鉄製の人孔縁塊は簡易舗装や砂利道で路面と蓋との段差をなくす目的で設置されたものです。戦前に設置されたものが多く、道路の舗装状態がよくなった戦後にはほとんど設置されなかったようです。

人孔縁塊について「マンホールのふた<日本篇>」には

昭和4年の仕様書には載っているが、神田下水ですでに使われているので、第一期改良事業当時から敷設されていたと思われる。

戦後は37年度の仕様書にはないので、いつの頃からか使われなくなったようである。

とあります。また「日本水道史附圖」の東京市人孔燈孔構造図では人孔蓋の直径は2.0ft(60.96cm)、縁塊の幅は0.8ft(24.4cm)となっています。

昭和13年(1938年)6月20日に制定された「鉄鋼配給統制規則」に基づき、昭和14年(1939年)2月16日に商工省はマンホールの蓋等15品目を鉄製不急品として指定しました。これ以降、鉄製のマンホールの蓋は製造できなくなりました。

これらのことから、元麻布の2枚の蓋は昭和13年(1938年)以前に製造されたものであり、東京市土木局下水課もしくは水道局下水課(昭和11年4月1日以降)のものであるといえます。

【参考文献】
林丈二 『マンホールのふた<日本篇>』 サイエンティスト社 1984年3月
中島工學博士記念事業會 『中島工學博士記念 日本水道史附圖』 昭和2年8月15日

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