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東京市のマンホール【1】

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東京都立日比谷公園は、明治36年(1903年)6月1日に開園した日本で最初の洋風近代式公園です。明治38年(1905年)9月5日に日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)反対の決起集会が開かれ、日比谷焼打事件へと発展しました。明治41年(1908年)に図書館、昭和4年(1929年)に公会堂、昭和17年(1942年)に大音楽堂が順次設置されてきました。戦後、連合軍に接収、昭和26年(1951年)11月に接収解除されました。

風景

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日比谷公園内に名古屋市型の東京市のマンホールが残されています。西幸門付近の大音楽堂前に1枚、松本楼前に2枚、庭球場前に1枚確認しています。

松本楼は日比谷公園開園と同時に営業を開始した洋風レストランです。昭和20年(1945年)2月に海軍将校宿舎、戦後は連合軍総司令部(GHQ)の宿舎として接収され、昭和26年11月に接収解除され、営業を再開しました。昭和46年(1971年)11月19日に沖縄返還協定反対デモ隊の火炎瓶により焼失、昭和48年(1973年)9月26日に再建されました。この再建を記念して毎年9月25日に10円カレーセールが行われています。

風景

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第一花壇前にも東京市のマンホールが1枚あります。この蓋も名古屋市型ですが、やや小型(約550φ)で、フック引掛け用の穴がありません。

東京市章と東京都紋章は同じですので、東京市時代のものかどうかを紋章だけで判断することは困難です。「東京府下水道改良工事設計標準」と「日本水道史附圖」には名古屋市型の蓋が描かれた図面は収録されていますが、東京市型の蓋が描かれた図面は見られません。ところが昭和4年(1929年)の東京市下水道設計標準図には東京市型の蓋の図面が収録されています。よって、これらの蓋は昭和3年(1928年)以前のもので、東京市が設置したといえます。

【参考文献】
中桐春太郎: "東京府下水道改良工事設計標準", 土木學會誌, 第12巻第1号, pp.9-82(大正15年2月)
中島工學博士記念事業會 『中島工學博士記念 日本水道史附圖』 昭和2年8月15日
林丈二 『マンホールのふた<日本篇>』 サイエンティスト社 1984年3月

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