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滝坂付近の京王線旧線跡

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開業時の京王線は地上駅だった仙川駅の西方で切り通しになり坂を下っていました。そして滝坂道を潜り、国分寺崖線を抜け、盛土で坂を下り、甲州街道と合流していました。その先は甲州街道上を走り、金子駅に至っていました。

旧線

大正2年発行の「京王電氣軌道沿線遊覧案内」には切り通し部から滝坂道の跨線橋である大正橋(初代)と遠方に見える富士山の写真と、甲州街道との合流地点を遠望した写真があります。ここから見える富士山を京王電軌では「瀧坂富士」と呼んでいました。これらの写真から単線時代は現在の上り線に線路が敷かれていたことが判ります。なお遊覧案内では瀧坂停留場附近と書かれていますが、瀧坂停留場の詳細は不明です。

旧線

この区間を含む烏山-金子間は大正9年(1920年)6月25日に複線化されました。大正11年頃の写真で複線化後の様子を見ることができます。そして昭和2年(1927年)12月17日に烏山~調布間の軌道位置および勾配変更改良工事が完成し、現在線への運転に切り替えられました。この工事について、「京王電車回顧十五年」には、

當會社は今や第二段の發展策を講ずると共に、更に社業の充實を企圖し、目下左記各般の施設に就て、専ら其の最善を期しつゝある。
    (中略)
(四)笹塚・代田橋間に鐡橋 敷設して勾配を取除き、仙川・柴崎間の急勾配を六十分一に改め、金子附近の國道併用を避けて専用線路を作る等、總て旅客に不快の感を與へる虞れある個所に對し、改良工事を施すこと。

「京王電氣軌道株式會社三十年史」には、

仙川-柴崎間壹粁八分の急勾配を六拾分壹に改め、金子附近の國道併用を避けて新たに専用線路を敷設し、(中略)乗客の利便のために巨費を投じて大々的改良工事を敢行

と書かれています。壹粁八分とは1.8kmのことです。

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現在線と旧線の分岐点はキューピー仙川工場(2011年3月閉鎖)の南東隅付近で、ここには平成17年(2005年)まで仙川7号跨線橋がありました。この橋は昭和2年(1927年)に架けられた橋で、仙川6号跨線橋の架替工事竣工後に老朽化のため撤去されました。旧線跡には工場の建屋が建っています。

坂

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工場の反対側には滝坂道(東京都道118号調布経堂停車場線)が通っていて、この道を旧線が潜っていました。写真にある灰色の建屋が旧線跡です。都道の反対側には急坂があります。この道が旧線跡で、「売地の坂」と呼ばれています。

旧線跡

坂

坂が急になっている箇所は滝坂道に取り付けるために盛土された部分で、緩やかな箇所は旧線の盛土のままです。坂を下った後、入間川を渡り、滝坂下交差点の東側にある歩道橋付近で甲州街道に合流していました。

旧道

旧線跡

旧線跡の道と甲州街道が合流する地点の反対側に斜めに入る道があります。これが甲州街道の旧道である瀧坂で、八王子以東の甲州街道で旧観をとどめている唯一の場所です。この瀧坂は頂上部分が大正12年(1923年)に掘削され、勾配が緩和されました。

このときの残土を利用して、昭和2年(1927年)に甲州街道が現在の道筋になりました。そして昭和6年(1931年)に新宿追分~谷保間の甲州街道がコンクリート舗装になり、道幅も15mに拡幅されました。このときに旧線跡の道の甲州街道側に柵と擁壁が構築されました。戦時中は金属供出のためこの柵の鉄パイプがなかったそうです。その後、東京オリンピックの開催のため、昭和39年(1964年)4月に甲州街道が現在の道幅に拡幅されました。

【参考文献】
京王電気軌道株式会社 『京王電氣軌道沿線遊覧案内』 大正2年
田鍋一二事務所編纂 『京王電車囘顧十五年』 大正15年1月20日 
京王電気軌道株式会社 『京王電氣軌道株式會社三十年史』 昭和16年2月20日
調布市教育委員会 『調布市文化財調査報告書 調布の古道・坂道・水路・橋』 平成13年12月10日

【関連記事】
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調布付近の京王線旧線跡 (2011.07.17)
旧調布駅の跡 (2005.07.08)

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