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国領と布田の狭間で

旧線

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京王線の笹塚-調布(初代)間の開業時には、北浦-調布間に停留所はありませんでした。大正6年(1917年)2月10日に医王山長楽院常性寺(成田山調布不動尊)と成海屋の間の甲州街道沿いに停留所が新設されました。常性寺の西側を通る鎌倉道が国領と下布田の境界でした。

京王の社史等では布田駅として開業となっていますが、大正6年の地形図には「こくりやう」(国領)と書かれています。甲州街道の布田五宿が東から国領宿、下布田宿、上布田宿、下石原宿、上石原宿となっていましたので、京王電軌としても新宿方より国領、布田としたかったことは想像に難くありません。ところが地元住民との関係で「国領」を「北浦」にしていたことと、新設停留所がかろうじて国領の域内にあることから、開業時の駅名は「国領」であったと考えられます。そして停留所の開業後に京王電軌、下布田、国領、北浦の四者で合意が取れ、「北浦」を「国領」に、「国領」を「布田」に改称したと考えられます。

旧線

旧線

旧駅は、旧甲州街道(東京都道119号北浦上石原線)と三鷹通り(東京都道121号武蔵野調布線)の交差点である布田駅前交差点の北東角の常性寺の駐車場のところにありました。そして線路は布田駅前交差点を斜めに横断していました。「調布の戰前」P.49には、

交通事故の第一号は布田の踏切事故で、成見屋魚店の前で、町内の○○トラックの貨物自動車と電車の衝突であった。大正から昭和の初め頃の京王線は、不動様と成見屋魚店の前を通って中島橋のたもとに抜けていた。

と書かれています。

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駅は、昭和2年(1927年)12月17日に現在位置に移転しました。そして昭和62年(1987年)6月16日に駅舎が地下になり、南北の公共地下通路ができました。その後。調布付近の連続立体化工事の進捗に伴い、2007年3月4日に仮設の橋上駅舎になりました。

この先、旧線は現在の布田4号踏切で現在線と合流し、初代調布駅に向かっていました。旧国領(北浦)と布田4号踏切の間には旧線跡の痕跡は残っていません。ただ公図上の筆界だけが旧線跡の存在を示しています。

なお、京王線開業と同時に主要道である甲州街道脇に停留所が設けられなかった理由は不明です。

【参考文献】
調布市教育委員会 『調布市文化財調査報告書 調布の古道・坂道・水路・橋』 平成13年12月10日
調布の戦前編集委員会 『調布の戰前』 平成20年3月
日本公図研究社 『調布市土地宝典』 昭和60年10月
京王電鉄株式会社 『京王電鉄五十年史』 平成10年12月1日

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