千駄ヶ谷町のマンホールとセンホール焼
弊備忘録の記事「千駄ヶ谷町のマンホール」をお読みになられた千駄ヶ谷大通り商店街振興組合(千駄ヶ谷グリーンモール)の方から、「センホール焼」を頂戴いたしました。
どら焼きの表面には千駄ヶ谷町のマンホールが描かれており、中央部の千駄ヶ谷町土木の紋章まで忠実に再現されています。
千駄ヶ谷町のマンホールについては数年前より町会や商店街などで話題になっていたそうです。12月11日に鳩森八幡神社で開催された商店街主催の餅つき大会で、このどら焼きを300個限定で販売したとのことです。
この千駄ヶ谷町のマンホールがある千駄ヶ谷4丁目の南側には、穏田川支流の代々木川が流れていました。これの暗渠化が昭和3年(1928年)から昭和7年(1932年)にかけて千駄ヶ谷町によって行われていて、それと同時に下水道枝線が敷設されたようです。以前の記事で千駄ヶ谷町のマンホールが昭和13年(1938年)以降に設置と書きましたが、この蓋が製造された昭和6年(1931年)頃に設置されたと訂正します。
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