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兵ニ告グ

二・二六事件発生に伴い、昭和11年(1936年)2月27日2時50分、東京市内に戒厳令を布告する緊急勅命が出されました。

勅令第十八號

朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ帝國憲法第八條第一項ニ依リ一定ノ地域ニ戒嚴令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年二月二十七日

一定ノ地域ヲ限リ別ニ勅令ノ定ムル所ニ依リ戒嚴令中必要ノ規定ヲ適用スルコトヲ得

附則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

勅令第十九號

朕昭和十一年勅令第十八號ノ施行ニ關スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年二月二十七日

昭和十一年勅令第十八號ニ依リ左ノ區域ニ戒嚴令第九條及第十四條ノ規定ヲ適用ス
  東京市

附則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

同時に公布された昭和11年勅令第20号により、東京市麹町区九段1丁目5番地の軍人會館に戒厳司令部が置かれ、戒厳司令官に香椎浩平陸軍中将(東京警備司令官兼東部防衛司令官)、戒厳参謀に石原莞爾大佐(陸軍参謀本部作戦課長)が任命されました。

勅令第ニ十號

朕戒嚴司令部令ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年二月二十七日

第一條 戒嚴司令官ハ陸軍大將又ハ中將ヲ以テ之ニ親補シ天皇ニ直隷シ東京市ノ警備ニ任ズ
戒嚴司令官ハ其ノ任務達成ノ爲前項ノ區域内ニ在ル陸軍軍隊ヲ指揮ス

第二條 戒嚴司令官ハ軍政及人事ニ關シテハ陸軍大臣ノ區處ヲ承ク

第三條 戒嚴司令部ニ左ノ職員ヲ置ク
  參謀長  參謀  副官
  管理部長  經理部長  軍醫部長  部附  部員
  衞兵長  憲兵長
  准士官、下士官、判任文官

第四條 參謀長ハ戒嚴司令官ヲ輔佐シ事務整理ノ責ニ任ズ

第五條 參謀ハ參謀長ノ指揮ヲ承ケ各擔任ノ事務ヲ掌ル

第六條 副官ハ參謀長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ掌ル

第七條 管理部長、經理部長、軍醫部長ハ戒嚴司令官ノ命ヲ承ケ各擔任ノ事務ヲ掌理ス

第八條 部附、部員、衞兵長、憲兵長ハ各上官ノ命ヲ承ケ事務ヲ掌ル

第九條 准士官、下士官、判任文官ハ各上官ノ命ヲ承ケ事務ニ從事ス

附則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
當分ノ内東京市内ニ於ケル東京警備司令官ノ職務ハ之ヲ停止ス

翌28日5時8分、戒厳司令官に対し「臨時変更参謀本部命令第3号」として奉勅命令が下されました。奉勅命令とは天皇自らが直接統帥大権をもって下した命令のことです。

臨變參命第三號

命令

戒嚴司令官ハ三宅坂附近ヲ占據シアル將校以下ヲシテ速ニ現姿勢ヲ徹シ各所屬師團長ノ隸下ニ復歸セシムヘシ

奉勅    參謀總長 載仁親王

戒嚴司令官香椎浩平殿

これを受けて7時に戒厳司令部は東京中央放送局(JOAK)に対し、発表事項は戒厳司令部内から放送するようにとの要請を発しました。11時45分、軍人會館内に臨時放送室が設置され、中村茂アナウンサーが入りました。24時に「戒厳司令部作戦命令第14号」として討伐命令が発令されました。

戒作命第十四號

命令 (二月二十八日午後十二時 於戒嚴司令部)

二、叛乱部隊ハ遂ニ大命ニ服セズ、依テ断乎武力ヲ以テ當面ノ治安ヲ恢復セントス

戒嚴司令官 香椎浩平

2月29日8時48分、JOAKから「兵に告ぐ」が放送されました。戒厳司令部の大久保弘一少佐(陸軍省新聞班)が放送原稿を作成し、中村アナウンサーが読み上げました。

勅命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從をして、誠心誠意活動して來たのであろうが、
お前達の上官のした行爲は間違つてゐたのである。
既に勅命天皇陛下の御命令によってお前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは勅命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違つて居つたと知つたならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理上からいつまでも反抗的態度をとって天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を永久に受ける樣なことがあつてはならない。
今からでも決して遲くはないから直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈つてゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。

戒嚴司令官 香椎中將

この放送と同時に傳單(ビラ)が撒かれました。

下士官兵ニ告グ

一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ニ歸レ
二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ

二月二十九日   戒嚴司令部

これにより下士官以下の兵達は原隊に復帰し、蜂起を実行した青年将校たちは逮捕されました。

東京市内の戒厳令は昭和11年勅令第189号~第191号によって、7月18日に解除されました。

勅令第百八十九號

朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ帝國憲法第八條第一項ニ依リ昭和十一年勅令第十八號一定ノ地域ニ戒嚴令中必要ノ規定ヲ適用スルノ件廢止ノ件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年七月十七日

昭和十一年勅令第十八號ハ之ヲ廢止ス

附則 本令ハ公布ノ日ノ翌日ヨリ之ヲ施行ス

勅令第百九十號

朕昭和十一年勅令第十九號昭和十一年勅令第十八號ノ施行ニ關スル件廢止ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年七月十七日

昭和十一年勅令第十九號ハ之ヲ廢止ス

附則 本令ハ公布ノ日ノ翌日ヨリ之ヲ施行ス

勅令第百九十一號

朕戒嚴司令部令廢止ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年七月十七日

戒嚴司令部令ハ之ヲ廢止ス

附則 本令ハ公布ノ日ノ翌日ヨリ之ヲ施行ス

戦後、軍人會館は連合国軍総司令部(GHQ)に接収されました。昭和28年(1953年)8月に返還され、日本遺族会が国から借り受けて「九段会館」として運営していました。昨年3月11日の東北地方太平洋沖地震により天井の一部が崩落し、死者2名、重軽傷者26名の死亡事故が発生しました。これを受けて4月12日付で会館の営業は廃止されました。

【参考文献】
國民新聞 「放送中思はず泣けて來た!」 昭和11年3月3日
NHK放送文化研究所 『放送の20世紀』 日本放送出版協会 2002年3月25日
NHK放送文化研究所 『20世紀放送史 資料編』 日本放送出版協会 2003年3月
【関連記事】
陸軍の境界標と二・二六事件 (2012.02.26)

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