西郷山と東京府のマンホール
江戸時代、この一帯は回遊式庭園で有名だった岡藩主中川家の目黒抱屋敷でした。
明治時代になってから、西郷従道が兄である西郷隆盛のために当地一帯を購入しましたが、明治10年(1877年)の西南戦争で隆盛が他界したため、従道自身の別邸として利用されるようになりました。従道は洋館や書院造の和館を建造し、庭園も和洋折衷式に大改造を行いました。
昭和16年(1941年)に鉄道省等に売却、庭園は埋め立てられ、昭和20年(1945年)の空襲で和館は焼失してしまいました。残された洋館は国鉄スワローズの合宿所として利用されましたが、昭和39年(1964年)に愛知県犬山市にある博物館明治村に移築され、現在は国の重要文化財に指定されています。
その後、邸宅跡地の東側にあたる台地の部分が整備され、昭和56年(1981年)5月28日に西郷山公園として開園しました。
戦後、崖下部分は日本国有鉄道の職員住宅として使用されました。平成9年(1997年)の目黒区による庭園調査で判明した回遊式庭園の遺構を利用して庭園が復原され、かつて書院造の和館があった場所には和館が新築されました。そして平成13年(2001年)3月31日に菅刈公園として開園しました。
菅刈公園の一角に「明治天皇行幸所西郷邸」の石碑が建っています。明治22年(1889年)に明治天皇が西郷従道邸に行幸されたことに由来するもので、昭和10年(1935年)3月に建立されました。石碑には、
史蹟名勝天然記念物保存法ニ依リ史蹟トシテ
昭和八年十一月文部大臣指定
の碑文が刻まれています。しかし、「昭和二十三年文部省告示第六十四号」(昭和23年(1948年)6月29日付)によって、他の明治天皇関係の史蹟(明治天皇聖蹟)と共に史蹟指定が解除されてしまいました。
この西郷山公園の旧山手通り側入口付近の渋谷区鉢山町に東京府のマンホールが1個残っています。デザインは東京市型と呼ばれるJIS標準模様で、縦線が細い東京府章の真中には穴が開いています。この道の歩道部分は三田用水の跡です。
このマンホールの近くにある旧山手通りに架かる橋は西郷橋です。元々、三田用水が下の道路を跨ぐための水道橋でしたが、幹線環状道路第六号の橋として昭和14年(1939年)4月に竣工しました。同時に環状道路第六号の渋谷区八幡通三丁目-代々木富ヶ谷町間が開通しました。
渋谷区鉢山町と神泉町の旧山手通りの歩道上には、府章部分に穴がない東京府のマンホールが数個残っています。
これらの東京府のマンホールは、旧山手通りの建設に合わせて昭和12~13年(1937~1938年)頃に設置されたと考えられます。
【参考】
西郷隆盛:文政10年12月7日(1828年1月23日)生、明治10年(1877年)9月24日没
西郷従道:天保14年5月14日(1843年6月1日)生、明治35年(1902年)7月18日没
【参考文献】
渋谷区教育委員会 『渋谷の橋』 平成8年9月30日
目黑清雄(東京府土木部道路課長): "東京府施行都市計畫道路工事", 土木建築工事畫法, 第15巻第1号, pp.44-51(昭和14年1月)
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