丸の内の逓信省のマンホール
千代田区丸の内1丁目のはとバス東京駅丸の内南口のりばに逓信省のマンホールが残っています。
マンホールは相当磨耗していますが、地紋は二の字模様で、中央部に逓信省徽章である〒と右書きで「話電」の文字がどうにか確認できます。また蓋は花崗岩製の縁石で囲まれています。
この場所はJR線の煉瓦アーチ式高架橋に接しており、高架橋下にははとバス東京営業所や飲食店が入っています。この高架橋は芝区新銭座町(現:港区浜松町)と麹町区永楽町(現:千代田区丸の内)を結んだため「新永間市街線高架橋」と名付けられ、明治33年(1900年)に着工し、大正3年(1914年)に浜松町-東京間が全通しました。
【参考文献】
木谷日出男、小野田滋: "首都圏を支える鉄道網", 東京都地質調査業協会技術ノート, 第30号, pp.1-30(平成12年3月)
【関連記事】
日比谷公園の電電公社の蓋 (2012.02.24)
逓信省のマンホールと国際電気通信 (2012.02.21)
警察電話のマンホール (2011.08.30)
逓信省のマンホールと市政会館 (2011.08.16)
逓信省のマンホール (2011.07.16)
内務省の雨水枡 (2011.07.03)
内務省のマンホール (2011.06.27)
電電公社のマンホール (2009.10.29)
| 固定リンク
「 マンホール・標石」カテゴリの記事
- 東京消防庁の初期型マンホール(2024.02.22)
- 松原町の逓信省境界標(2023.11.14)
- 千住の江戸川上水町村組合水止栓(2023.10.16)
- 小川町3丁目の看板建築と阻水弇(2023.04.24)
- 駒澤町大字上馬(2023.02.27)