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丸の内の逓信省のマンホール

千代田区丸の内1丁目のはとバス東京駅丸の内南口のりばに逓信省のマンホールが残っています。

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manhole

マンホールは相当磨耗していますが、地紋は二の字模様で、中央部に逓信省徽章である〒と右書きで「話電」の文字がどうにか確認できます。また蓋は花崗岩製の縁石で囲まれています。

風景

この場所はJR線の煉瓦アーチ式高架橋に接しており、高架橋下にははとバス東京営業所や飲食店が入っています。この高架橋は芝区新銭座町(現:港区浜松町)と麹町区永楽町(現:千代田区丸の内)を結んだため「新永間市街線高架橋」と名付けられ、明治33年(1900年)に着工し、大正3年(1914年)に浜松町-東京間が全通しました。

【参考文献】
木谷日出男、小野田滋: "首都圏を支える鉄道網", 東京都地質調査業協会技術ノート, 第30号, pp.1-30(平成12年3月) 

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