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陸軍の境界標と二・二六事件

明治42年(1909年)7月1日、陸軍省は東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字深町・字外輪と澁谷町大字上澁谷字澁谷・字大原に跨る代々木野に代々木練兵場を新設しました。

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同時に練兵場南端の澁谷町大字上澁谷字宇田川に陸軍衛戍監獄が建設されました。大正11年(1922年)、陸軍衛戍監獄は東京陸軍衛戍刑務所に改称されました。ここには昭和11年(1936年)2月26日に起こった二・二六事件の主謀者が勾留されていました。事件後に設置された東京特設軍法会議で陸軍刑法(明治41年法律第46号、明治41年4月9日公布、10月1日施行)の「叛乱ノ罪」

第二十五條 黨ヲ結ヒ兵器ヲ執リ叛乱ヲ爲シタル者ハ左ノ區別ニ從テ處斷ス
一 首魁ハ死刑ニ處ス
二 謀議ニ参与シ又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ處シ其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ三年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
三 附和随行シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

が適用され、彼らに死刑判決が下されました。そして刑務所の北端で、昭和11年(1936年)7月12日に青年将校15名、昭和12年(1937年)8月19日に青年将校2名と民間人2名の銃殺刑が執行されました。

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昭和20年(1945年)12月に連合国軍に接収され、米軍住宅「ワシントン・ハイツ」になりました。昭和36年(1961年)11月に東京オリンピックのための選手村・競技場用地としてこの地を利用することが決定され、日本に全面返還されることとなりました。ワシントンハイツの代替施設として調布飛行場に「関東村」が建設され、昭和39年(1964年)8月12日に移転が完了しました。

代々木練兵場だった所には東京オリンピックの選手村「代々木選手村」、国立代々木競技場、NHK放送センターが建設されました。オリンピック終了後の昭和42年(1967年)10月20日、選手村の跡地に都立代々木公園が開園しました。一方、陸軍衛戍刑務所の跡地には渋谷区役所、渋谷公会堂(現:CC Lemonホール)、渋谷地方合同庁舎、渋谷区立大向小学校(現:神南小学校)等が建設されました。

風景

標石

東京陸軍衛戍刑務所の南端にあたる東急ハンズ渋谷店前の神南小学校下交差点の角に陸軍の土地境界標が保存されています。元々は交差点近くの石垣擁壁の所にあったのですが、渋谷区清掃事務所宇田川分室敷地内に移設されています。境界標は花崗岩製で、表面には「陸軍用地」と彫られています。

記念碑

刑務所の北端になる渋谷地方合同庁舎脇には「二・二六事件慰霊像」が建っています。この慰霊像は二・二六事件の犠牲者である重臣、警察官、青年将校等を弔うために昭和40年(1965年)2月26日に建立されました。

二・二六事件発生から今日で丁度76年になります。

【参考文献】
澁谷町役場 『東京府豊多摩郡澁谷町平面圖』 澁谷町報社 大正7年4月

【関連記事】
東京府の土地境界標 (2010.08.13)

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