逓信省のマンホールと国際電気通信
国際電気通信株式会社は、昭和13年(1938年)3月12日に日本無線電信株式会社と国際電話株式会社が合併して誕生した特殊会社です。
その年の11月、北多摩郡神代村大字入間字城山に技術研究所が設立されました。昭和15年(1940年)10月、対外無線機の製作等を目的とした工場が北多摩郡狛江村大字和泉に建設されました。
昭和18年(1943年)末に日本放送協会海外放送用の50kW短波送信機(R-2)が狛江工場で完成し、昭和19年(1944年)4月1日から国際電気通信河内送信所(大阪府南河内郡野田村)で運用を開始しました。続けて海外放送用100kW短波送信機(Q-1)が昭和20年(1945年)5月に完成しました。しかし国際電気通信八俣送信所(茨城県猿島郡八俣村大字東山田)に据付工事中に終戦を迎えたため、十分な試験放送が実施できず、昭和23年(1948年)に廃棄されました。
昭和16年(1941年)4月に国際電気通信の技術研究所の一角に逓信省電気試験所神代分室が開設されました。ここでは主に電子管(真空管)の研究が行われていました。
戦後、GHQの指令により国際電気通信は解体され、昭和22年(1947年)12月10日に技術研究所は逓信省電気試験所神代分室に移管されました。狛江工場は逓信省に移管されず、電元工業株式会社に継承されました。昭和24年(1949年)11月17日に電元工業から狛江工場が独立し、国際電気株式会社が設立されました。そして平成12年(2000年)10月1日に日立電子と八木アンテナを合併し、株式会社日立国際電気になりました。
一方、電気試験所神代分室は昭和25年(1950年)12月に武蔵野市に移転し、現在はNTT武蔵野研究開発センタになっています。
昭和24年(1949年)8月、神代分室の一角に電気通信職員訓練所東京第一学園神代分室が開設されました。昭和26年(1951年)5月2日に電気通信職員訓練所中央学園、昭和27年(1952年)11月1日に中央電気通信学園と改称されました。1991年に中央研修センタ、1999年に NTT東日本研修センタと改称されました。
NTT東日本研修センタ南側の国分寺崖線下に逓信省のマンホールが残っています。ここは調布市、狛江市、世田谷区の境界付近になります。マンホールのデザインは「二の字」模様で、中央部には〒マークのみがあります。
NTT東日本研修センタ内にも同じデザインの小型マンホールが現存しています。
これらのマンホールは逓信省電気試験所時代に設置されたものと考えられます。
- 【参考文献】
- 武田郁夫、今井哲二、高橋得雄 『日本のエレクトロニクスの源流 -電気試験所神代分室の記録-』 工業調査会 2001年3月25日
- 日本電信電話公社中央電気通信学園 『中央電気通信学園史』 昭和45年3月
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