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東京市仕様の混凝土製弁蓋

戦時中から終戦直後にかけて製作されたと思われる東京市水道局仕様のコンクリート(混凝土)製弁蓋が都内にいくつか残っています。

昭和13年(1938年)6月20日制定「鉄鋼配給統制規則」に基づき、昭和14年( 1939年)2月16日にマンホールの蓋等15品目が鉄製不急品として指定されました。これにより、コンクリート製のマンホール蓋が普及するようになりました。

昭和18年(1943年)10月1日に、東京府と東京市が統合されて東京都が誕生しました。これにより東京市水道局は東京都水道局になりました。弁蓋の表面には東京市章=東京都紋章だけが描かれていますので、東京市時代のものか、都制施行以降のものかは判断することはできません。

風景

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渋谷区南平台町の玉川通り(国道246号線、東京都市計画道路幹線街路放射第4号線)から少し入った道路のL型街渠部にコンクリート製弁蓋が残っています。この蓋に描かれている紋章は明瞭に残っています。

風景

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同じ渋谷区内の明治通り(東京都市計画道路幹線街路環状第5号線、東京都道305号芝新宿王子線)の宮下橋跡付近の歩道上にも1つ残っています。こちらの蓋の紋章は磨耗によりほぼ消えてしまっています。正面に見える石柱は宮下橋の親柱です。

風景

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井の頭線駒場東大前駅西口の商店街にも、この弁蓋が現存しています。駒場東大前駅は、昭和40年(1965年)7月11日に駒場駅と東大前駅が統合されて誕生された駅ですが、この道自体は戦前から存在している道です。

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