戦後の防火栓
現在、再開発が行われている旧東京中央郵便局と三菱ビルヂングの間の道路にも防火栓の蓋が残っています。
有楽町消防出張所前の防火栓の蓋とは異なり、こちらの蓋には2つの消防章と、その間に「防火栓」の文字が左書きで書かれています。地紋は昭和30年代までの水道関係の蓋で見られるダイヤが浮き出たものです。
警察機構からの消防の分離独立後の昭和24年(1949年)4月1日に施行された「東京消防庁消防吏員服制」で消防章が初めて登場しました。そして、昭和26年10月6日告示の消防庁告示第22号「東京消防庁の使用する消防章」によって規格等が定められました。
このことから、この蓋は昭和24年(1949年)4月以降に設置されたと考えられます。
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戦前の防火栓 (2012.03.03)
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