代々木練兵場の境界標と明治神宮西参道
明治42年(1909年)7月1日、陸軍省は現在の代々木公園一帯に代々木練兵場を設置しました。
これに合わせて、國道十六號(甲州街道)と代々木練兵場を結ぶ道路が十三間道路(幅員約23.6m)に改修されました。大正3年(1914年)6月11日、京王線が幡代小學校前駅から十三間道路西側の代々木駅まで40鎖(約805m)延伸され、途中に改正橋駅が設けられました。このときに幡代小學校前駅が廃止されたと考えられます。
大正4年(1915年)5月1日に内務省告示第三十號
一、明治神宫
明治天皇
祭神
昭憲皇太后
右東京府下豐多摩郡代々幡村大字代々木ニ社殿創立社格官幣大社ニ列セラルヽ旨仰出サル
が発表され、代々木練兵場に隣接した南豐嶋御料地を境内地として明治神宫の造営が行われました。そして大正9年(1920年)11月1日に鎮座祭が挙行されました。
これ以降、十三間道路は西参道と称されるようになりました。現在の西参道(渋谷区特別区道第860号路線)は東京都市計画道路幹線街路補助線街路第53号線の一部になっています。
明治神宫造営中の大正8年(1919年)9月に京王線の代々木駅が神宮裏駅、改正橋駅が初臺駅と改称されました。その後、昭和14年(1939年)7月21日に神宮裏駅は西參道駅と改称されましたが、昭和20年(1945年)7月24日に戦時下での不要不急駅に指定され、廃止されました。
小田原急行鐵道小田原線が代々木練兵場の脇を通ることになり、大正15年(1926年)に西参道の跨線橋として参宮橋が架けられました。そして昭和2年(1927年)4月1日に參宮橋駅が開業しました。
参宮橋駅の脇に陸軍の土地境界標が残っています。表面には「陸軍省所轄地」の文字が刻まれています。小田原線開業前後の地図を見比べると、小田原線は参宮橋跨線橋の付近で代々木練兵場の敷地内を通っていることがわかります。この境界標が練兵場の反対側にあるのも、このことを示唆しています。
明治45年(1912年)7月30日に明治天皇が崩御されて今年で100年になります。毎年7月30日には明治神宫で明治天皇祭が挙行されます。
【参考文献】
京王電気軌道株式会社 『京王電車 沿線名所圖繪』 昭和5年秋
京王電気軌道株式会社 『京王電氣軌道株式會社三十年史』 昭和16年2月20日
京王電鉄株式会社 『京王電鉄五十年史』 平成10年12月1日
大丸真美:"明治神宮の鎮座地選定について", 明治聖徳記念學會紀要, 復刊第17号, pp38-66(平成8年4月15日)
渋谷区教育委員会 『渋谷の橋』 平成8年9月30日
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