戦前の防火栓
防火水道とは、ビル内にある井水ポンプを近隣相互に連絡し震災・戦争時の消火用水として利用するためのもので、井水連絡防火水道とも言います。
東京都心では昭和11年(1936年)から昭和16年(1941年)にかけて防火水道が整備されました。マンホールのふた<日本篇>には、
東京では私設の消火栓設備を指す。機能自体は、一般の消火栓と同じであるが、火災時に水圧を高めるところに特徴がある。
と書かれています。丸の内地区の防火水道は昭和14年(1939年)5月19日に完成しています。
戦前の消防は警察の一組織で、東京では警視廳消防部でした。昭和23年(1948年)3月7日に分離独立し、東京消防本部が誕生しました。そして同年5月1日に東京消防庁に改称されました。
千代田区有楽町1丁目の警視庁丸の内警察署庁舎内にある東京消防庁丸の内消防署有楽町消防出張所の前に防火栓の蓋が残っています。この蓋には旭日章と呼ばれる警察章2つと、その間に右書きで「栓火防」の文字とが書かれています。
有楽町消防出張所は、昭和15年(1940年)3月10日に警視廳消防部丸ノ内消防署有楽町警備派出所として麹町区有楽町一丁目7番地に開設されました。昭和17年(1942年)11月1日に防空消防の充実のため派出所に昇格しました。前述の警察・消防分離に伴い、東京消防庁丸ノ内消防署有楽町出張所になりましたが、昭和23年(1948年)9月1日から昭和26年(1951年)2月28日までは京橋消防署の管轄下にありました。
この蓋は防火水道完成時の昭和14年(1939年)に設置されたものと考えられます。
【参考文献】
林丈二 『マンホールのふた<日本篇>』 サイエンティスト社 1984年3月
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