駒場駅跡
駅の構造は相対式ホーム2面2線構造でした。駅舎は上りホーム側に建てられ、下りホームと連絡する構内踏切がありました。昭和12年(1937年)頃の地図では駒場東大前1号踏切(駒東1号踏切)はなく、駅前で道が行き止まりになっていました。
昭和12年に駅名が駒場駅に改称されました。
昭和37年(1962年)頃、新宿駅西口行きの京王バスが駅前から発着しており、料金は15円均一でした。このバスは航研通り(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第54号線・渋谷区特別区道第857号路線)と山手通り(東京都市計画道路幹線街路環状第6号線・東京都道317号環状六号線)を経由していました。
昭和40年(1965年)7月11日、駅間距離が400mしかない駒場駅と東大前駅を統合した駒場東大前駅(渋谷起点1.6km)が開業したことにより廃駅になりました。この頃、バス路線も廃止されたようです。
現在、下りホームのコンクリート擁壁だけが遺構として残っているだけで、上りホームおよび駅舎の遺構は残っていません。
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