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陸軍獣医学校の境界標石

明治26年(1893年)5月3日に公布された勅令第26號「陸軍獸毉學校條例」に基づき、東京府荏原郡目黑村大字上目黑字氷川の陸軍乘馬學校(明治31年10月1日公布の勅令第230號により陸軍騎兵實施學校に改称)内に陸軍獸毉學校が設置されました。

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明治42年(1909年)12月28日、瀧坂道沿いの荏原郡世田ヶ谷村大字代田字松代に移転しました。大正12年(1923年)4月1日、町制施行で世田ヶ谷町になりました。昭和7年(1932年)10月1日に荏原郡が東京市に編入され、世田谷区が成立したとき、大字代田字松代・字溝ヶ谷・字山下が下代田町になりました。

京王1006F・1027F

駅跡

昭和8年(1933年)8月1日に帝都電鐵澁谷線の澁谷-井ノ頭公園間が開業し、近くに西駒場駅と池ノ上駅が設置されました。

昭和20年(1945年)の終戦により、陸軍獸醫學校は閉校になりました。

昭和22年(1947年)5月、跡地の南東部に日本装蹄学校が開校しました。昭和31年(1956年)4月に駒場学園高等学校に改称されました。平成6年(1994年)3月31日に全国唯一の学科であり、陸軍獸醫學校の流れを継いだ装蹄畜産科が廃止されました。

昭和23年(1948年)に世田谷区立富士中学校が跡地の北東部に開校しました。同時期に跡地の西半分が都営下代田住宅になりました。

風景

標石

陸軍獸醫學校の土地境界標石が敷地の東側に2つ残っています。1つは富士中学校の擁壁のそばにあります。標石の材質は花崗岩で、その表面には「陸軍省」の文字が彫られています。

風景

標石

もう1つは駒場学園高校グランドと道を挟んだ反対側にあります。こちらも花崗岩製の標石で、「陸軍」の文字が確認できます。ところがL字街渠のコンクリートに半分埋まっているため、下に続く文字が「省」なのか「用地」なのかはわかりません。

風景

淡島通り(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第52号線・東京都道423号渋谷経堂線)に面したところには獸醫學校正門の門柱が残っていましたが、2005年に撤去されてしまいました。

【参考文献】
世田谷区教育委員会 『世田谷の地名』 昭和59年3月10日

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