目黒新橋と東京府のマンホール
目黒区下目黒1丁目の目黒通り(東京都市計画道路幹線街路放射第3号線、東京都道312号白金台町等々力線)の目黒新橋の袂にある警視庁目黒警察署下目黒交番の裏手に東京府のマンホールが残っています。
デザインは名古屋市型ですが、渋谷区千駄ヶ谷3丁目や新宿区西新宿3丁目のものとは凹凸が逆になっています。蓋の中央部分には昭和6年(1931年)の府章改定前の「東」の字を図案化したものが描かれていますが、西新宿3丁目のものと細部は異なっています。
東京都下水道局の「下水道台帳」には汚水桝として記載されています。
東京都道312号白金台町等々力線の前身は、大正9年(1920年)4月1日の「東京府告示第百六十二號」(府縣道ノ認定)で指定された東京府道二十號芝溝口線です。同年、内務省の出先機関である都市計畫東京地方委員會常務委員會が作成した都市計画案では、
二等大路第二類第二十三幅員八間(中央車道六間左右歩道各一間)
目黑驛脇鐵道跨線橋東詰より目黑村大字下目黑新橋を經て字下道百三番地々先二等大路第一類線に接続するの路線
となっていましたが、翌大正10年(1921年)5月30日の内閣公告では、
貳等大路第壹類
第九 目黑驛脇鐵道誇線橋東詰ヨリ目黑村大字下目黑新橋ヲ經テ字下道四百參拾五番地壹等大路第參類線ニ接續スルノ路線 幅員拾間
と格が上がりました。この計画に基づき、街路の整備並びに拡幅工事が行われました。
昭和8年(1933年)に目黒川(二級河川・目黒川水系本流)に架かる目黒新橋が竣工しました。昭和10年(1933年)発行の「東亰日日新聞附録携帯用大東京案内地圖」では、目黑駅~目黑區下目黑四丁目(現在の東急バス目黒営業所付近)が都市計画道路の竣工区間、下目黑四丁目~世田谷區玉川等々力町一丁目が「事業費予算アルモノ」となっています。
これらのことから、この蓋は昭和6年(1931年)以前に目黒通りの街路工事に伴い設置されたものと考えられます。
大正12年(1923年)から昭和12年(1937年)にかけて、玉川通り(国道246号、東京都市計画道路幹線街路放射第4号線)の大橋より下流の目黒川で治水工事(延長7925m)が行われました。目黒新橋から望むことができる川沿いの桜並木は、この治水工事の際に植栽されたと思われます。
【参考文献】
時事新報 「東京大都市計畫 都市常務委員會立案 豫算一億三千七百萬」 大正9年11月13日
遠藤市次 『東京都市計畫地圖事業索引』 東京第三官報販賣所 大正10年11月13日
國民新聞 「目黑川の改修工事 總額九百七十萬圓」 大正10年12月6日
東京朝日新聞 「希望條件附にて目黑川改修案通過 受益負擔承認」 大正11年12月29日
東京府總務部地方課 『 東京府勢概要』 昭和12年5月25日
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