東急東横線並木橋駅跡
明治41年(1908年)11月、全長30尺(9.1m)、幅員12尺(3.6m)の橋に架け替えられ、並木橋と改称されました。
昭和2年(1928年)8月28日、東京橫濱電鐵によって澁谷-丸子多摩川駅間が開業した時、並木橋の袂に並木橋駅が設けられました。駅は相対式ホーム2面2線の高架駅で、駅舎は高架橋下にありました。
昭和9年(1934年)、八幡通り(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第20号線・渋谷区特別区道第873号路線)の街路整備により、並木橋のすぐ隣に新並木橋が架設されました。
昭和20年(1945年)5月25日の米軍による空襲(22:22空襲警報発令、26日01:00解除)で並木橋駅は被災し、6月1日に営業休止になりました。そして戦後、復活することはなく、昭和21年(1946年)5月31日に並木橋駅は廃止されました。現在、ホーム下の擁壁が駅の痕跡として残っています。しかし、今年度に予定されている東京地下鉄副都心線と東急東横線の直通運転が始まった時点で、渋谷-代官山間の高架橋とともに見納めとなりそうです。
並木橋駅の西側の側道に木製の電信柱が1本建っています。この木柱表面には、空襲によるものと言われている炭化が見られます。また並木橋西詰の鎌倉道には東京府の後期型マンホールが1つだけ残っています。
なお、並木橋は平成2年(1990年)9月に、新並木橋は平成5年(1993年)3月にそれぞれ現在の橋に架け替えられました。
【参考文献】
渋谷区教育委員会 『渋谷の橋』 平成8年9月30日
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