尾久町のマンホール
尾久町は荒川(現:隅田川)沿いにあり、明治時代までは水路が数多くあった農村地帯でした。そして工場の進出、大正3年(1914年)に発見されたラジウム鉱泉「尾久温泉」を核にした三業(料理屋・芸妓屋・待合)の形成、および大正11年(1922年)5月の「あら川遊園」開園により、町は大きく発展しました。そして町中を流れる水路の水質が悪化してきました。
このため尾久町は下水道整備事業を計画し、昭和3年(1928年)1月31日に第一期工事分が認可されました。この工事で多くの水路が暗渠化され、昭和7年度(1932年度)に竣工しました。続けて第二期工事分が昭和7年(1932年)7月5日に認可され、尾久町の東京市編入により東京市に引き継がれました。
下水道整備により暗渠化された水路の1つに八幡堀があり、西尾久2丁目地内の流路跡が八幡堀プロムナードとして遊歩道化されています。この八幡堀の名称は近くにある尾久八幡神社に由来しています。
八幡堀プロムナードに尾久町のマンホールが保存されています。デザインは名古屋市型で、中央に尾久町章が描かれています。この町章はヲが9個配置されており、ヲ×9=ヲク≒オグと読ませています。
マンホールのそばにはマンホールの解説板と八幡堀の跡についての解説板が立っています。隣接している公園は荒川区立八幡児童遊園です。
【参考文献】
東京市役所 『東京市市政年報 下水道篇 昭和十二年度』 昭和14年3月
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