溝ヶ谷支流と東京市仕様の消火栓
北沢川溝ヶ谷支流は、東京都道420号鮫洲大山線(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第26号線)と航研通り(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第54号線・渋目4号路線)が交差する三角橋交差点付近を谷頭とし、世田谷区北沢1丁目~代沢1丁目を流れ、池尻4丁目地内で北沢川に合流していました。
この溝ヶ谷支流と井の頭線が交差する箇所の側道に東京市仕様の消火栓蓋が現存しています。 蓋のパターンは菱形の浮き出しで、右書きで「栓火消」と書かれています。文字の両側には、横向きになった東京市章(=東京都紋章)が描かれています。昭和11年(1936年)の仕様書にはこの蓋が載っています。昭和31年(1956年)の仕様書では、「消火栓」の文字が左書きとなっています。
当時、溝ヶ谷支流の東側斜面は東京帝國大學の敷地で、昭和14年(1939年)発行の1万分の1地形図「世田谷」には帝都電鐵線沿いに側道は描かれていません。昭和22年(1947年)9月8日撮影の米軍航空写真では溝ヶ谷支流の西側斜面に側道らしきものが確認できますが、東側斜面では確認することができません。
これらのことから、この側道が昭和20年代に整備され、それと同時に蓋が設置されたと考えられます。しかし、蓋の位置が谷底の橋の上だったことから、設置当初は表記が「消火栓」で、実態は「消火用吸水孔」だった可能性もあります。
【参考文献】
林丈二 『マンホールのふた<日本篇>』 サイエンティスト社 1984年3月
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