東電笹塚線の痕跡
1950~60年代の写真を見る限り、鉄塔は一部を除いて門型鉄塔だったようです。
経路は、東京電力千歳変電所~「千歳烏山30」架線柱~京王電鉄上北沢変電所~京王電鉄笹塚変電所でした。「千歳烏山30」架線柱で千南線から分岐していたのか、同架線柱まで千南線と併走していたのかは定かではありません。また当時、烏山変電所はありませんでした。
この笹塚線の銘板が千歳烏山駅構内の「千歳烏山4」架線柱の上り線側に残っています。銘板には、「笹塚線22」と書かれていて、鉄塔高が20mと表記されています。この銘板および京王の架線柱銘板に記載されている建柱年月は昭和51年(1976年)10月となっています。
この時期、京王線では20m車8連に対応するためのホーム延伸工事が行われていました。「千歳烏山4」架線柱の付近はホーム延伸部に当たるため、延伸工事と同時に建て替えられたと考えられます。
【参考】
京王線談話室 笹塚循環さんの御投稿 (2005.07.16)
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