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千駄ヶ谷町水道の止水栓【1】

千駄ヶ谷町は明治神宫の内苑と外苑の間に位置していたため、速やかに衛生防火施設を整備する必要に迫られていました。

このため、大正12年(1923年)5月11日の町會は満場一致で「水道敷設竝に上水供給方」を東京市に懇請しました。大正13年(1924年)6月28日に東京市より

各戸給水は目下の處來需に應ずること困難なるも消火栓設置竝に小學校に對する飲料水の供給は特に取計らふ

という回答があり、8月5日の町会に附議し満場一致で東京市からの給水を仰ぐことを決定しました。これを受けて12月16日に「水道敷設認可稟請」を提出、翌大正14年(1925年)3月31日に認可されました。工事は東京市に委託し、4月29日に着工、12月16日に竣工しました。早くも大正15年(1926年)には追加工事(5月17日認可、7月28日竣工)が行われました。

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昭和2年(1927年)2月28日には「水道擴張認可稟請」を提出し、12月3日に認可されました。拡張工事も東京市に委託し、昭和3年(1928年)7月17日に着工、翌昭和4年(1929年)3月31日に竣工しました。水道事務所は千駄ヶ谷町千駄ヶ谷563番地に置かれました。

東京市水道局からの分岐取水は、赤坂區青山北町4丁目28番地先と四谷區旭町35番地先の24吋(609.6mm)管から行われました。

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渋谷区代々木4丁目の山手通り(東京都市計画道路幹線街路環状第6号線・東京都道317号環状六号線)の初台一丁目東交差点と西参道(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第53号線・渋谷区特別区道第860号路線)代々木地域安全センター前交差点を結ぶ道路に千駄ヶ谷町の止水栓が残っています。この場所は当時代々幡町で、千駄ヶ谷町水道の給水区域ではありませんでした。

風景

この止水栓がある坂道は、大正4年に岸田劉生が描いた「道路と土手と塀(切通之写生)」で有名な「切通しの坂」です。坂を下った谷底には、「春の小川」のモデルとなった渋谷川水系宇田川の支流である河骨川が流れていました。この下流には「春の小川」記念碑があります。

【参考文献】
東京市役所 『隣接五郡に於ける上水道に關する調査』 昭和7年6月
東京市役所 『東京市市政年報 水道篇 昭和十二年度』 昭和14年3月
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