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目黒町水道の水止栓

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明治22年(1889年)5月1日に東京府荏原郡上目黑村、中目黑村、下目黑村、三田村が合併して目黑村が誕生しました。大正11年(1922年)12月1日に町制を施行して荏原郡目黑町となりました。その後、昭和7年(1932年)10月1日に東京市に編入され、碑衾町と合併し目黑區になりました。

目黑町は大正11年9月15日に澁谷町に対して上水の供給方を照会しました。10月26日に澁谷町から町外給水條例を制定して配水に応じるとの回答があり、目黑町は目黑川以東の地域の水道管敷設工事と給水を澁谷町に依頼しました。ところが内務省から

自治團體として獨立の行政區域たる目黑町水道施設を澁谷町になさしむるは自治精神上當を得たるものとは云ひ難きをもつて目黑町自ら敷設經営をなすべきものに非るや

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との意見があり、町で水道事業を行うことになりました。大正13年(1924年)8月7日に水道敷設認可申請を内務大臣に稟請し、翌年4月20日に認可を受けました。そして大正14年(1925年)6月27日に起工式を挙行し、大正15年(1926年)6月に竣工しました。

大正13年8月27日に澁谷町と浄水の供給契約を締結し、目黑町大字上目黑字宮下地先の600mm管から浄水の供給を受けることになりました。

この頃、澁谷町が目黑町大字上目黑字別所に建設した澁谷塵芥焼却場(大正14年11月竣工、現:目黒区中目黒1丁目4番地付近)をめぐって、目黑町と澁谷町の間で対立が生じていました。そこで大正15年11月12日付で荏原郡長の宮城栄三郎氏による仲裁案が示され、その中に「澁谷町は目黑町内の町外給水の権利を全部目黑町に譲渡する」との事項が含まれていました。12月6日に両町間で焼却場問題に関する妥協条件の締結が行われました。

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山手通り(東京都道317号環状六号線・東京都市計画道路幹線街路環状第6号線)と目黒通り(東京都市計画道路幹線街路放射第3号線・東京都道312号白金台町等々力線)の交差点である大鳥神社交差点の西150mほどの北側歩道上に目黒町水道の水止栓が1枚残っています。蓋には目黒町章があり、右書きで「水止栓」と書かれています。

風景

風景

大鳥神社は荏原郡下目黑村の鎮守で、大同元年(806年)に社殿が造営されました。祭神は日本武尊を主神とし、国常立尊と弟橘媛命を相殿神としています。この神社は11月に行われる酉の市で有名です。

【参考文献】
東京市役所 『隣接五郡に於ける上水道に關する調査』 昭和7年6月
東京市役所 『東京市市政年報 水道篇 昭和十二年度』 昭和14年3月
溝入茂: "大正末から昭和初期にかけての東京府渋谷町と目黒町のごみ戦争", 廃棄物資源循環学会論文誌, Vol.23 No.3, pp125-137 (2012年6月)
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