六郷用水物語
そして荏原郡六郷領矢口村で、池上村、堤方村、新井宿村、不入斗村方面の北堀と、蒲田新宿村、麹谷村方面の南堀に分流し、それぞれ江戸湾に流れていました。この用水は世田ヶ谷領14ヶ村500町歩(約475ha)と六郷領35ヶ村1000町歩(約990ha)の田畑を灌漑しました。
明治以降、流域の宅地化や工場進出に伴い水質が悪化し、農業用水や生活用水として使われなくなりました。そして戦後、仙川合流点から東急多摩川駅手前までの区間は丸子川として残りましたが、上流側や大田区内では暗渠化され道路や遊歩道になってしまいました。
多摩川駅東側から沼部隧道までの用水跡は道路になっています。東急多摩川線多摩川1号踏切付近と沼部隧道坑口付近に「六郷用水物語」と書かれた灰色のマンホールがあります。蓋にはジャバラが描かれています。
沼部隧道から沼部駅付近の旧中原街道までは、湧水を使った用水路が復元され、遊歩道が整備されています。この遊歩道上にクリーム色の「六郷用水物語」のマンホールが3枚あります。
旧中原街道沿いの有慶山東光院の前にはジャバラ(足踏み水車、踏車)と呼ばれる揚水用水車の復元模型があります。この水車の羽根を足で踏んで回転させ、渇水期に田に水を揚げていました。
旧中原街道の先には細い水路が続いています。ここには「東京の名湧水57選」No.8である「六郷用水沿い洗い場跡」があります。ここにも灰色の「六郷用水物語」のマンホールがあります。
東急多摩川線下丸子駅付近で六郷用水は北堀と南堀に分かれます。この北堀跡の道路と池上本門寺通りが交わるところに「池上本門寺参道」の石碑が建っていて、傍には巨石が置かれています。
池上本門寺通りと本門寺新参道が合流する「本門寺前」交差点角に、登録有形文化財である「萬屋酒店」が建っています。建物は明治8年(1875年)に建てられた寄棟造瓦葺の木造平屋建で、江戸時代の町家建築に見られる厨子二階出桁造りが特徴です。
JR・東急蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ道路の「蒲田五丁目」交差点の東50mほどの所に蒲田橋の親柱が残っています。この橋は昭和5年(1930年)6月に南堀の支流の1つである逆川に架けられた橋です。
- 【参考文献】
- 新多摩川誌編集委員会 『新多摩川誌』 平成13年7月20日
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