旧文部省庁舎前の逓信省マンホールと燈孔蓋
霞ヶ関には明治28年(1895年)竣工の司法省庁舎(現:法務省旧本館)がありました。大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災からの復興事業で、庁舎が次々に建てられました。
庁舎 | 竣工 | 備考 |
---|---|---|
內閣總理大臣官邸 | 昭和4年(1929年)3月18日 | 現:総理大臣公邸 |
警視廳 | 昭和6年(1931年)8月 | 昭和52年(1977年)解体 |
文部省 | 昭和8年(1933年)7月 | |
內務省 | 昭和8年(1933年)9月 | 平成12年(2000年)解体 |
會計檢査院 | 昭和10年(1935年)5月 | 平成16年(2004年)解体 |
大藏省 | 昭和18年(1943年) | 昭和9年(1934年)着工 |
これにより、都内各所に点在していた官庁が霞ヶ関に集められました。
2009年2月時点で、旧文部省庁舎前の歩道上に逓信省の大型マンホールと東京市の燈孔蓋が残っていました。
逓信省のものは正面玄関前にあり、花崗岩製の縁石で囲まれている全体の長辺が1.5mほどの角蓋です。2枚の蓋の中央には逓信省徽章である〒マークが入っています。この蓋の大きさから、官庁の移転集中に伴う電話回線数の増加に対応できる規模の洞道ないしは設備が地下に埋設されていると考えられます。
燈孔蓋は虎ノ門交差点付近にあり、紋様は分割数が8-16-12-24となっているJIS標準模様です。蓋には蝶番が付いていて、中央部に下水道局徽章が描かれています。大正12年(1923年)3月の東京市下水道計畫平面圖には、この箇所に汚水及合流管渠が描かれていて、昭和6年(1931年)には既に完成しています。
ここは「番町幹線」と「溜池幹線」が合流している箇所で、ここから下流側は「高段幹線」になります。「高段幹線」は幅1.66m、高さ1.66mのRC構造の矩形渠として東京都下水道局の下水道台帳に記載されています。
これらの蓋は霞ヶ関官庁街の整備に伴い、昭和5年頃に設置されたと考えられます。
- 【参考文献】
- 東京市下水道課 『東京市下水道計畫平面圖』 大正12年3月
- 東京市役所 『市域擴張記念 大東京概觀』 昭和7年10月1日
- 會計檢査院長官房総務科 『會計檢査院便覽原稿』 昭和10年5月28日
- 文部科学省大臣官房 『文部科学広報 第44号』 平成16年1月5日
- 池上貴志, 荒巻俊也, 花木啓祐: "下水熱利用地域冷暖房システムの戦略的導入による環境負荷低減効果の解析", 環境システム研究論文集, vol.33, pp.343-354 (2005)
- 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 『「春の小川」が流れた街・渋谷 -川が映し出す地域史-』 2008年9月29日
- 千代田区防災会議 『千代田区地域防災計画 資料編』 平成25年3月19日
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