小田急山谷駅跡
南新宿-参宮橋間の南新宿3号踏切の小田原方に山谷駅がありました。
山谷駅は、昭和2年(1927年)4月1日の小田原急行鐵道小田原線開通と同時に開業しました。駅は相対式ホーム2面2線の構造で、駅舎は上りホーム側に踏切に面して建っていました。
昭和17年(1942年)頃、西参道(渋谷特別区道第860号路線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第53号線)と代々木駅前を結ぶ道路(渋谷特別区道第1052号路線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第59号線)が造られ、ホームの小田原方の一部が1~2mほど削られました。陸軍が昭和19年(1944年)10月16日に撮影した航空写真では、この道路と線路が交わっている箇所は道幅が細い踏切で、踏切の前後で道幅が広い道路が斜めに取り付く形になっています。
昭和20年(1945年)5月25日の米軍による空襲(22:22空襲警報発令、26日01:00解除)により駅の北側は焼失しましたが、駅は焼け残ったようです。しかし、隣の南新宿まで400m、參宮橋まで500mであり、乗降客が少なかったため、7月1日に不要不急駅として営業を休止しました。そして昭和21年(1946年)6月1日に廃止になりました。
下りホームがあった場所には、ホームの土台と思しき石が埋まっているのが確認できますが、詳細は不明です。この他には遺構らしきものは確認できませんでした。
なお、西参道と代々木駅を結ぶ道路は、昭和30年(1955年)頃に線路と斜交する形で掘り下げられ、現在の架道橋が造られました。
- 【参考文献】
- 日本地圖株式會社 『戦災焼失區域表示 帝都近傍圖』 昭和21年2月25日
- 生方良雄 『小田急の駅 今昔・昭和の面影』 JTBパブリッシング 2009年6月1日
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