東京駅100年
12月20日に東京駅は開業100周年を迎えました。
明治22年(1889年)の東京市區改正設計で、新橋と上野間に市内を貫通する高架線の計画が立てられました。明治29年(1896年)の第9回帝國議會で芝區新錢座町-麹町區永樂町間と中央停車場の建設が決議されました。このうち、中央停車場は宮城正面の東京市麹町區永樂町に建設されることになりました。停車場本屋は、東京帝國大學工科大學前学長の辰野金吾博士と葛西萬司氏が設計した鉄筋レンガ造3階建てで、明治41年(1908年)3月25日に着工、大正3年(1914年)12月14日に竣工しました。
大正3年(1914年)12月20日に中央停車場が開業し、東京駅と名付けられました。このとき乗り入れていたのは東海道本線だけでしたが、大正8年(1919年)3月1日に中央本線、大正14年(1925年)11月1日に東北本線が乗り入れてきました。
昭和4年(1929年)12月16日には宮城と反対側に八重洲口が開設されました。
昭和20年(1945年)5月25日の米軍による空襲で駅本屋が焼損しました。終戦直後から昭和22年(1947年)3月にかけて修復工事が行われましたが、2階建ての変更され、南北のドームの形状も変更されました。
昭和23年(1948年)11月16日に八重洲駅舎が竣工しましたが、昭和24年(1949年)4月29日に失火で焼失、昭和29年(1954年)10月14日に駅舎が建て替えられました。
昭和31年(1956年)7月20日に帝都高速度交通営団の丸ノ内線の東京駅が丸の内駅前広場地下に開業しました。昭和39年(1964年)10月1日に東海道新幹線が開業、昭和47年(1972年)7月15日に総武地下ホーム、平成2年(1990年)3月10日に京葉地下ホームの営業が開始されました。平成3年(1991年)6月20日には東北新幹線が乗り入れるようになりました。
平成15年(2003年)5月30日に丸の内側の赤レンガ駅舎が重要文化財に指定されました。平成19年(2007年)5月30日より、赤レンガ駅舎を創建当初の形態に復原する工事が行われ、平成24年(2012年)10月1日に完成しました。
復原された南北のドーム内上部には十二支のレリーフが再現されました。レリーフは十二支による方位表現と一致する形で掲げられており、北東が牛と寅、南東が辰と巳、南西が未と申、北西が戌と亥になっています。しかし、方角の正中線上に当たる子、卯、午、酉のレリーフは設置されていません。
- ドーム内の十二支レリーフ
- 【参考文献】
- 鐵道院東京改良事務所 『東京市街高架鐵道建築概要』 大正3年12月18日
- 金井彦三郎: "東京停車場建築工事報告", 土木學會誌, 第1巻第1号, pp.1-28(大正4年2月)
- 東京都地質調査業協会 『技術ノート(No.44)特集:中央線』 平成23年11月
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