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道玄坂の看板建築

看板建築

渋谷区道玄坂2丁目の道玄坂(渋谷特別区道第1046号路線・東京都市計画道路幹線街路放射第4号線)沿いに昭和初期の看板建築が残っていました。

建物は2軒ずつ組みとなった木造3階建てで、3棟ありました。それぞれの建物上部の構造は異なっていて、坂下の建物はマンサード屋根ギャンブレル屋根、坂上の建物は陸屋根風でした。

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風景

昭和3年(1928年)昭和6年(1931年)から8年(1933年)にかけて、環状五号道路「明治通」の一部として道玄坂の拡幅・街路整備工事が行われ、現在の道幅になりました。『ハチ公の見た渋谷』に収録されている昭和初期の道玄坂の写真には、この看板建築の建物のうち、真中と坂上の建物が写っています。これらのことから、建築されたのは道玄坂が整備された昭和3年昭和8年以前と考えられます。

map

昭和20年(1945年)5月25日の米軍による空襲(22:22空襲警報発令、26日01:00解除)により渋谷駅から道玄坂一帯にかけて焼失してしまいました。『戦災焼失區域表示 帝都近傍圖』でもこの周辺は焼失区域となっています。ところが実際は、この3棟の建物だけが運よく焼失を免れたと思われます。

跡地

戦後の高度経済成長時に周りの建物がビルに建て直される中、10年ほど前まで電器店などの店舗が営業していました。その後もネットに覆われた状態で、昨年(2014年)12月8日の時点まで残っていました。ところが、その直後の12月中旬に解体撤去されたようで、現在では更地になっています。

【参考文献】
東京市役所 『市域擴張記念 大東京概觀』 昭和7年10月1日
來島良亮(東京府土木部長): "東京都市計劃事業の沿革", 土木建築工事畫法, 第9巻第6号, pp.33-37(昭和8年6月)
東京府總務部地方課 『東京府勢概要』 昭和12年5月25日
日本地圖株式會社 『戦災焼失區域表示 帝都近傍圖』 昭和21年2月25日
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 『開館記念特別展「ハチ公の見た渋谷」展』 2005年7月9日
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