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箱根路の逓信省のマンホール

風景 manhole

箱根国道(国道1号・東海道)の箱根湯本駅前近くの歩道上に、逓信省のマンホールが1枚残っています。

蓋は二の字模様で、中央に大きな逓信省徽章である〒マークが入っています。

律令時代の箱根山付近の東海道は、御殿場や足柄峠を経由する足柄路でした。しかし、平安時代初期の延暦19~21年(800~802年)の発生した富士山の噴火(延暦噴火)により通行不能となったため、箱根峠を経由する湯坂路が開かれました。

慶長9年(1604年)に湯坂路が廃止され、須雲川(二級河川・早川水系支流)沿いのルートが開かれました。このルートは現在の神奈川県道732号湯本元箱根線になっています。

明治8年(1875年)、地元有志により小田原板橋から湯本村山崎間に新道が建設されたのを皮切りに順次道路が開かれていき、明治37年(1904年)に芦ノ湖まで開通しました。そして大正9年(1920年)4月1日付の内務省告示第28号「國道路線認定ノ件」で國道一號に認定されました。

大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により壊滅的な状況になり、復旧工事が行われました。そして大正14年(1925年)7月1日に箱根国道が開通しましたが、昭和6年(1931年)11月26日の北伊豆地震で再び壊滅的な状況になりました。

Japan_tel_plan_1940

大正9年の逓信省による第三次電話擴張計畫の改訂で、東京-岡山間約800粁のケーブル化が決定し、このうち東京-神戸間のケーブル化工事が大正11年度に着工されました。当初は以下のように順次開通の予定でした。

  • 大正12年度:東京-小田原間
  • 大正13年度:小田原-静岡間、名古屋-京都間
  • 大正14年度:静岡-濱松間、京都-大阪間
  • 大正15年度:濱松-名古屋間
  • 大正16年度:大阪-神戸間

ところが関東大震災により東京逓信局管内での着工が遷延された結果、施工期や施工順序が変更され、昭和3年(1928年)11月1日に東京-神戸間が全通しました。

箱根山付近では足柄沼津區間と称され、設計および建設は以下のように行われました。

箱根越部分は舊道及新國道共「ケーブル」施設に不適當なるため箱根湯本より蘆の湯迄鷹の巣峠に大部分架空式により施設し其他は大體國道に沿ひ大部分架空式により施設

箱根湯本以西では湯坂路経由となり、地下線9.9km、架空線28.7kmの計38.6kmが昭和2年(1927年)9月11日に開通しました。

これらのことから、箱根湯本の逓信省のマンホールは、長距離電話ケーブル用として関東大震災後の箱根国道復旧工事と同時期に設置されたものであると考えられます。

【参考文献】
"箱根國道開通式", 道路の改良, 第7巻第8号, pp.110-113(大正14年8月)
"箱根塔ノ澤の開腹隧道", 土木建築工事畫法, 第7巻第4号, pp.38-39(昭和6年4月)
"伊豆大地震續報 全滅に近かつた箱根國道", 土木建築工事畫法, 第7巻第4号, pp.40-41(昭和6年4月)
田邊良忠(神奈川縣土木部長):"國道一號線足柄下郡湯本町地内に築造せる所謂『開腹隧道』に就て", 土木建築工事畫法, 第8巻第5号, pp.40-45(昭和7年5月)
遞信省工務局 『東京神戸間長距離電話「ケーブル」工事の概要』 昭和3年11月
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