「蛍田駅名発祥の地」碑
小田急小田原線の螢田駅は昭和27年(1952年)4月1日に開業しました。
駅の構造は相対式ホーム2面2線で、ホーム有効長は20m車6両分の120mとなっています。上下ホームの小田原方にそれぞれ改札口が設けられていて、ホーム間は跨線橋で接続されています。下りホーム側の東口は小田原線と並行している神奈川県道720号怒田開成小田原線に面しています。
上りホーム側の西口には小さな駅前広場があります。この広場の片隅に、「蛍田駅名発祥の地」の木碑が建っています。
(正面)蛍田駅名発祥の地
(左面)足柄下郡蓮正寺村字蛍田三七〇ノ五
(右面)平成十七年八月吉日 蓮正寺第五自治会
左面に書かれている蓮正寺村は、江戸時代には相摸國足柄下郡に属する村の1つでした。そして、明治11年(1878年)7月22日付の太政官布告第17号により行政区画としての足柄下郡が編成されました。
太政官布告第十七號
郡區町村編制法左ノ通被定候條此旨布告候事
第一條 地方ヲ畫シテ府縣ノ下郡區町村トス
第二條 郡町村の區域名稱ハ總テ舊ニ依ル
第三條 郡ノ區域廣濶ニ過キ施政ニ不便ナル者ハ一郡ヲ畫シテ數郡トナス 東西南北上中下某郡ト云カ如シ
第四條 三府五港其他人民輻湊ノ地ハ別ニ一區トナシ其廣濶ナル者ハ區分シテ數區トナス
第五條~第六條 (略)
明治21年(1888年)法律第1号により市制・町村制が施行されました。
朕地方共同ノ利益ヲ發達セシメ衆庶臣民ノ幸福ヲ增進スルコトヲ欲シ隣保團結ノ舊慣ヲ存重シテ益之ヲ擴張シ更ニ法律ヲ以テ都市及町村ノ權義ヲ保護スルノ必要ヲ認メ玆ニ市制及町村制ヲ裁可シテ之ヲ公布セシム
御名御璽
明治二十一年四月十七日
これに基き、明治22年(1889年)4月1日に近隣の村々と合併し足柄下郡富水村になりました。明治41年(1908年)4月1日に蘆子村、二川村、久野村、富水村が合併して足柄村が発足しました。その後、昭和15年(1940年)2月11日に町制を施行し足柄町になりましたが、10ヶ月後の12月20日に小田原町等と合併し小田原市になりました。
螢田駅の現在の所在地名は神奈川県小田原市蓮正寺319で、螢田という地名は残っていません。
このことから、碑銘は明治22年まで存在していた地名で書かれていることになります。
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