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太子堂の日本水道止水栓

世田谷区太子堂3丁目の淡島通り(東京都道423号渋谷経堂線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第52号線)の世田谷区立太子堂中学校と太子堂中学校バス停の間の歩道上に日本水道株式會社の止水栓が1枚残っています。

社章 止水栓

蓋は三軒茶屋交差点付近の止水栓と同型の蝶番があるもので、日本水道の社章と「止水栓」の文字が右書きで書かれています。蓋表面の状態は良好で、社章が鮮明に見えています。

淡島通りの原型は、奈良時代に整備された府中道の一部で、江戸時代初期に大山道の道玄坂と甲州街道の瀧坂を結ぶ瀧坂道(甲州道中出道)に組み込まれました。この瀧坂道は大正9年(1920年)に東京府道第23号調布澁谷線として認定されました。

東京府告示第百六十二號

府縣道ノ路線左ノ通認定シタリ

大正九年四月一日   東京府知事 阿部浩

番號 路線名 起點 重要ナル經過地 終點
第二十三號 調布澁谷線 北多摩郡調布町 國道第八號路線 北多摩郡神代村、千歳村 荏原郡世田ヶ谷村、目黒村 豊多摩郡澁谷町 府縣道第一號路線 豊多摩郡澁谷町

この付近の東京府道第23号線は、昭和2年(1927年)に東京都市計画道路補助線道路第27号線として認可されました。

内務省告示第四百九號

東京都市計畫道路ノ新設、改修左ノ通決定スルノ件昭和二年八月十日内閣ノ認可ヲ得タリ

昭和二年八月十八日   内務大臣 鈴木喜三郎

東京都市計畫道路ノ新設、改修ノ件左ノ通定ム

郊外ノ部

幹線放射道路(略)

補助線道路

路線
番號
起點 終點 經過地 延長約 米 幅員 米
二七 豊多摩郡澁谷町大字中澁谷 北多摩郡千歳村大字船橋 荏原郡目黑町 世田谷町 六、〇一〇 一一及
至一五
内譯 豊多摩郡澁谷町大字中澁谷 荏原郡世田谷町大字世田ケ谷 荏原郡目黑町 四、五五五 一五
荏原郡世田谷町大字世田ケ谷 北多摩郡千歳村大字船橋   一、四五四 一一

これを受けて昭和6年(1931年)に東京府は第二期都市計畫道路改修事業路線として下記の区間の事業費を計上しました。このうち、終点の府縣道第56号は現在の環状七号線(東京都道318号環状七号線・東京都市計画道路幹線街路環状第7号線)の元となった東京府道第五十六號大森田無線(荏原郡大森町-世田谷村-豊多摩郡和田堀内村-北多摩郡田無町)、通称堀内道のことで、若林陸橋の西側を通っている細い道路です。

荏原郡目黑町上目黑(騎兵第一聯隊前)ヨリ同郡世田谷町地内府縣道第五六号交會點ニ至ル(一部)

延長二、〇九〇米

幅員一五米

風景

昭和11年(1936年)6月11日に陸軍が撮影した空中写真や昭和14年(1939年)の地形図等から、昭和13年(1938年)末の時点で拡幅工事が未完成だったことが読み取れます。ところが、昭和19年(1944年)10月16日の空中写真では街路が完成していることが確認できます。これらのことから、上記区間の拡幅工事が竣工したのは昭和15年(1940年)頃と推測できます。そして、日本水道の止水栓はこのときに設置されたと考えられます。

この止水栓のある場所から渋谷寄りには、明治32年(1899年)3月に開設された東京第二衞戍病院がありました。そして昭和11年(1936年)11月10日に東京第二陸軍病院と改称されました。

勅令第三八七號

朕衞戍病院令中改正ノ件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

御名御璽

昭和十一年十一月二日

衞戍病院令中左ノ通改正ス
「衞戍病院令」ヲ「陸軍病院令」ニ、「衞戍病院」ヲ「陸軍病院」ニ改ム

(略)

第四條 東京ニハ陸軍病院二個ヲ置キ東京第一陸軍病院、東京第二陸軍病院ト稱ス其ノ各病院ノ患者収容區分ハ陸軍大臣之ヲ定ム

(略)

附則

本令ハ昭和十一年十一月十日ヨリ之ヲ施行ス
他ノ勅令中衞戍病院トアルハ陸軍病院トス

昭和20年(1945年)12月1日、陸軍省の第一復員省への改組に伴い東京第二陸軍病院は厚生省に移管され、国立世田谷病院になりました。そして、昭和40年(1965年)4月に国立小児病院に改組されました。その後、東京第二陸軍病院大藏臨時分院(→東京第四陸軍病院)を出自とする国立大蔵病院との統合により、平成14年(2002年)から16年にかけて世田谷区大蔵2丁目に移転し、国立成育医療研究センターになりました。その跡地は再開発されてマンションになっています。

【参考文献】
"内務省告示第409號 東京都市計畫道路ノ新設、改修ノ件", 官報, 第192號, pp.1-5 (昭和2年8月18日)
東京府土木部 『東京府道路槪要』 昭和7年7月
目黑清雄(東京府土木部道路課長): "東京府施行都市計畫道路工事", 土木建築工事畫法, 第15巻第1号, pp.44-51(昭和14年1月)
世田谷区企画部都市デザイン室 『世田谷古地図 昭和14年(1939年)当時』 平成4年
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