利田神社の鯨塚
品川区立品川浦公園の隣には利田神社があり、その境内には鯨塚が建立されています。
利田神社は寛永3年9月6日(1626年10月25日)に沢庵禅師によって創建され、洲崎弁天と称されていました。慶応4年3月13日(1868年4月5日)の神仏分離令により、祭神を市杵嶋姫命に改め、社名も利田神社に改称されました。
鯨塚は自然石製で表面は磨耗しているため、「鯨碑」と「寛政十年」の文字しか読み取ることができません。その隣には、昭和44年(1969年)9月の昭和の大改修で東品川一三町会鯨塚保存会により建立された鯨碑があります。その碑面には、
武州荏原郡品川浦
天王洲漁人等建之
鯨鯢ハ魚中ノ王 本邦西南ノ海ニ多ク
東北ノ海ニ少ナリ 今年仲夏甲子ノ日
始子品川天王洲 舟ヲ以テ囲ミ
矛ヲ以テ刺 直ニ廳事ニ訴フ衆人
コレヲ聞テ コレヲ見ント 数日群集ス
諺ニ此魚ヲ獲時ハ七郷富潤フトフ
漁長ニ代ッテ祭之詞
玉池一陽井 素外江戸に鳴
冥加やたかし
なつ鯨寛政十年戌午夏 華渓稲貞隆書
と書かれています。これは古い碑と同じ内容の文面のようです。そして碑の傍に鯨塚の説明板が立っています。
鯨塚乃由来
此ノ鯨塚ハ寛政拾年(西暦一七九八年)五月壱日折柄ノ暴風雨ニモマレ乍ラ大鯨ガ品川ノ沖ニ這入リ込ミ是ヲ見ツケタ猟師達ハ船ヲ出シテ遠巻ニシテ天王洲ニ追イ込ミ遂ニ捕エタ 此ノ事ガ忽チ江戸ニ広ガリ見物客デ大賑イニ成リ五月三十日ニ芝ノ浜御殿(今ノ浜離宮公園)ノ沖ニ船デ引張ツテ行キ㐧十一代将軍家斉公ニ御覧ニ入レタ 此ノ鯨ノ背通リ長サ九間一尺高サ六尺八寸有ツタトイウ 鯨塚ニハ左ノ句ガ刻ンデアル
江戸に鳴る
冥加やたかし
なつ鯨当時の俳人 谷素外
品川浦公園には利田の地名の由来が書かれた説明板が立っています。
利田新地(かがたしんち) 東品川一丁目の一部
南品川猟師町の地先を安永三年(一七七四)から埋め立て、天保五年(一八三四)に完成した面積一町(三千坪 約九九〇〇平方メートル)の土地です。
はじめは新しく開かれた土地ということで南品川新開地と名付けられましたが、開墾に着手した南品川宿名主利田吉左衛門の姓をとって利田新地と呼ばれました。
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