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玉電ビル

玉電ビル・東急会館

昭和7年(1932年)10月1日、澁谷區大和田町8番地の玉川電氣鐵道澁谷駅の木造2階建駅舎の改築が竣工し、1階に二幸澁谷店、2階に玉電食堂が開業しました。ところが、改築間もない昭和8年(1933年)より玉川電氣鐵道はターミナルデパート「玉電ビルディング」の計画を検討し始めました。

この頃、東京橫濱電鐵は澁谷駅に東橫ビルを建設し、昭和9年(1934年)11月1日に東橫百貨店が開業しました。また、昭和9年9月5日には、東京橫濱電鐵総帥の五島慶太氏らを発起人とする東京高速鐵道が設立されました。

五島氏は百貨店の競合関係の解消と東京高速鐵道線澁谷駅建設等のために玉川電氣鐵道の敵対的買収に乗り出しました。一方、玉川電氣鐵道はかつて同じ富士瓦斯紡績系だった京王電氣軌道との提携を模索し抵抗しましたが、五島氏に株式を大量取得されてしまいました。この結果、昭和11年(1936年)10月22日の臨時株主総会で東京橫濱電鐵の統制下に入ることを可決しました。そして澁谷區大和田町1番地の玉川電氣鐵道本社を増改築し、昭和12年(1937年)2月28日に東京橫濱電鐵本社が同地に移転しました。昭和13年(1938年)4月1日に玉川電氣鐵道は東京橫濱電鐵に吸収合併されました。

渋谷駅図面

当初の設計は鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階・地下2階で、2階に玉電、3~4階に東京高速鐵道澁谷線(現:東京地下鉄銀座線)の駅を設置し、省線、市電、帝都電鐵線(現:京王井の頭線)、東橫線との連絡を考慮したものでした。昭和12年4月20日に警視廳から建築認可を取得し建設工事に着手しました。

地下鉄改札口

しかし、百貨店法(昭和12年8月13日法律第76号)、臨時資金調整法(昭和12年9月10日法律第86号)、鉄鋼工作物築造許可規則(昭和12年10月11日商工省令第24号)の公布により地上4階、地下2階と規模を縮小し、昭和13年12月に竣工しました。同月20日に東京高速鐵道澁谷線の澁谷-青山六丁目(現:表参道)間が開業しました。

渋谷の風景

建築工事の進捗に伴い、昭和12年7月27日には玉川線(澁谷-溝ノ口: 11.3km)と天現寺線(澁谷-天現寺橋: 2.6km)・中目黑線(澁谷橋-中目黑: 1.4km)が分断されました。玉川線の駅は帝都電鐵澁谷駅横の仮設駅に、天現寺線と中目黑線の駅は東橫百貨店前に移転しました。また玉電駅舎に出店していた二幸も帝都電鐵澁谷駅に移転しました。

玉電渋谷駅

玉電ビルの竣工から半年経った昭和14年(1939年)6月1日、玉川線の駅が玉電ビル2階に移転しました。駅は頭端式ホーム2面2線で、頭端部に車止めと改札口、改札脇には案内・出札窓口がありました。そのさらに3ヶ月後の同年9月20日には帝都電鐵線澁谷駅との連絡橋も完成しました。

JR改札口

昭和15年(1940年)7月には省線澁谷駅第四次改良工事が竣工し、山手線外回り(新宿・池袋方面)ホームが新設されました。従来からのホームは延伸され、内回り(品川・東京方面)専用になりました。それと同時に玉電ビルに直結する現在の玉川改札が設けられました。こうして現在の渋谷駅の基本構造ができ上がりました。

コンコース

玉電の改札を出て右斜め前方に行くと山手線外回り、左斜め前方の階段を3階に上がると東京高速鐵道澁谷線、1階に降りると山手線内回りと東京市電、そこから玉電線路跡の通路を進んで東橫線、左後方に進むと帝都電鐵線に乗り換えることが可能で、総合駅としての機能を果たすようになっていました。

空撮

昭和22年(1947年)9月8日に撮影された米軍の空撮写真で当時の駅の構造を確認することができます。玉電ビルの屋上には増築端があります。玉電ビルと東橫百貨店の間には山手線を跨いでいる地下鉄ホームが見えます。井之頭線澁谷駅は頭端式ホーム3面3線で、地下鉄の検車庫が留置線の西端にあります。

また、玉川線が道玄坂と合流する近くに2014年12月まで現存していた看板建築が確認できます。

玉電ビル・東急会館

昭和27年(1952年)から増改築工事が行われ、昭和29年(1954年)11月15日に当時日本一高い11階建て(高さ60m)の建物になりました。それと同時に名称が東急会館と改称されました。地下1階~1階と5~7階は東横百貨店西館、8階は「東横お好み食堂」、9・10階は大劇場「東横ホール」になりました。

ホーム跡

昭和44年(1969年)5月11日に玉川線(渋谷-二子玉川園: 9.1km)と砧線(二子玉川園-砧本村: 2.2km)が全線廃止されました。昭和45年(1970年)5月17日、バス乗降場と転回用のターンテーブルが高架橋上に設けられ、ホーム跡は連絡通路になりました。バス乗降場は渋谷マークシティ建設のため平成6年(1994年)6月30日に廃止されました。

渋谷駅跡

現在では、旧駅跡を含む2階のほぼ全体がコンコースとなっていて、終日多くの人々が行き交っています。右の写真中の手前から2本目の柱付近に玉電渋谷駅の改札口や出札窓口がありましたが、その痕跡は残っていません。柱および天井の梁だけが往時を偲ばせるものとなっています。

階段

建物の北東隅にある階段は地下1階から3階の銀座線改札階までしか結んでいません。階段室の壁面には人造大理石テラゾーが使われていて、踏面や手摺の石材も相当年季が入った状態になっています。このことから、この階段は玉電ビル建設当時のものであると考えられます。

【参考文献】
"澁谷驛連絡玉電ビル基礎工事", 土木建築工事畫法, 第14巻第6号, pp.278-281(昭和13年6月)
百貨店日日新聞社 『東横百貨店』 昭和14年11月25日
東京急行電鐵株式會社 『東京橫濱電鐵沿革史』 昭和18年3月25日
坂倉準三建築研究所: "東急会館の設計について", 建築雑誌, 70(819), pp.35-38(昭和30年2月20日)
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 『開館記念特別展「ハチ公の見た渋谷」展』 2005年7月9日
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