関戸橋
関戸橋は多摩川(一級河川・多摩川水系本流)に架かる鎌倉街道(東京都道18号府中町田線)の橋です。
鎌倉街道は鎌倉時代の鎌倉との往還道の1つであった下道(しもつみち)で、關戸の渡しで多摩川を渡っていました。建暦3年5月2日(JC1213年5月30日)に起こった有力御家人和田義盛の反乱である和田合戦を機に、鎌倉幕府により下道の多摩川南岸に関所である霞ノ關が設置されました。
元弘3年5月16日(JC1333年6月28日)、鎌倉幕府と新田義貞率いる反幕府勢との間で関戸の戦いが行われました。
下道は江戸時代以降、鎌倉街道上道(かみつみち)と呼ばれるようになりました。
鎌倉街道は、大正9年(1920年)4月1日の東京府告示第百六十二號(府縣道ノ認定)により東京府道第83號府中川和線に指定されました。川和は神奈川縣津久井郡中野村川和(現:神奈川県相模原市緑区大字中野)を指しています。
大正14年(1925年)3月24日、玉南電気鉄道(現:京王電鉄)の府中-東八王子(現:京王八王子)間が開業し、關戸の渡しの上流側に多摩川橋梁が単線で架けられました。同時に多摩川の北岸に中河原駅、南岸に關戸駅が設置されました。
昭和5年(1930年)11月に明治天皇の行幸を記念した多摩聖蹟記念館が開館しました。このため、昭和12年(1937年)5月1日に關戸駅が聖蹟桜ヶ丘駅に改称されました。
そして、昭和8年(1933年)から關戸橋の架橋が計画、起工され、昭和12年(1937年)8月に竣工しました。關戸橋は全長約400m, 幅員8.05mの単純鈑桁橋で、片側1車線の歩車一体型でした。
關戸橋の架橋の理由は判明していませんが、昭和初期に多摩川に架橋された道路橋は下流側が二子橋、上流側が甲州街道(國道8号、現:東京都道256号八王子国立線)の日野橋(大正15年8月竣工)しかなかったことと、多摩聖蹟記念館の開館が理由であると考えられます。
この關戸橋の開通により、關戸の渡し(府中市側では「中河原の渡し」と呼称)は廃止されました。府中市教育委員会は平成元年(1989年)12月に「中河原渡し」の碑を関戸橋北詰の関戸橋北交差点で交差する多摩川通り(府中市道)沿いに建立しました。碑には以下の碑文が記載されています。
中河原渡しは、中河原と対岸の関戸(現多摩市)との間を結んでいた鎌倉街道筋の渡しで、中河原村が経営していたことからその名があります。多摩川の中に中河原村と関戸村の境界があるため、関戸側には関戸村が経営する関戸の渡しが設置されていました。これらの渡しは、昭和十二年に関戸橋が竣功し、その歴史の幕を閉じました。渡し賃は、明治二十五年で平水時(二尺五寸)徒歩(一人)三厘、馬(一頭)六厘、人力車(一輛)六厘、大七以上荷車(一輛)一銭などでした。水深が五尺以上になると「川止め」(通船禁止)になりました。
昭和35年(1960年)に京王帝都電鉄(現:京王電鉄)は桜ヶ丘住宅地の開発に着手し、翌年から分譲を開始しました。また、昭和41年(1966年)から多摩ニュータウン事業が始まりました。
これらの開発による交通量の増大を見越して、関戸橋の上流部に並走する形で(新)関戸橋が架橋され、昭和46年(1971年)11月24日に竣工しました。(新)関戸橋は幅員12mの連続箱桁橋で、3車線の歩車分離型です。
(新)関戸橋の開通により、関戸橋は南行専用2車線、新橋は北行専用3車線になりました。ところが、交通量はますます増大したため、上流側に府中四谷橋が架橋され、平成10年(1998年)12月17日に開通しました。
架橋から80年経った関戸橋の老朽化に伴い、平成28年(2016年)1月から関戸橋架け替え事業が始まりました。工事は多摩川の渇水期(11月~5月)にしか行うことができないため、事業完了までに16年要するとのことです。
- 【参考文献】
- 東京府土木部 『東京府道路槪要』 昭和7年7月
- 東京府總務部地方課 『東京府勢概要』 昭和12年5月25日
- 国土交通省関東地方整備局京浜工事事務所 『新多摩川誌』 河川環境管理財団, 平成13年7月20日
- 東京都北多摩南部建設事務所工事第一課 『関戸橋通信 創刊号』 2015年12月
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