一ノ宮の渡しと神奈川県水量標識
京王線聖蹟桜ヶ丘駅から宮下通りを小野神社方面に向った多摩市一ノ宮2丁目に一ノ宮渡しの碑と神奈川縣水量標識があります。
小野神社は武蔵総社大國魂神社の一之宮で、安寧天皇18年2月初末の日に創建された御祭神が天下春命(あめのしたはるのみこと)である神社です。天下春命は武藏國開拓の祖神とされています。ここにある2本の欅は小野神社の御神木で、一の鳥居がこの付近にあったと伝えられています。
大國魂神社の公式サイトでは一之宮から六之宮は以下の様になっています。
- 一之宮: 小野神社 [東京都多摩市]
- 二之宮: 二宮神社(小河神社) [東京都あきる野市]
- 三之宮: 氷川神社 [埼玉県さいたま市大宮区]
- 四之宮: 秩父神社 [埼玉県秩父市]
- 五之宮: 金鑚神社 [埼玉県児玉郡神川町]
- 六之宮: 杉山神社 [神奈川県横浜市緑区]
このあたり一帯はかつて武藏國多摩郡でした。明治4年(1871年)の廃藩置県により、多摩郡は東京府と神奈川縣の管轄に分けられました。明治11年(1878年)11月2日に東京府管轄の多摩郡が東多摩郡に、同月18日に神奈川縣管轄の多摩郡が北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の3つに分割されました。これにより、一ノ宮は神奈川縣南多摩郡に属することになりました。
玉川上水の水利権管理と奥多摩地域の水源確保のため、明治26年(1893年)4月1日に北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡の所謂三多摩が神奈川縣から東京府に編入されました。その後、明治29年(1896年)4月1日に東多摩郡は南豐島郡と合併して豐多摩郡になりました。
神奈川縣水量標識は明治25年(1892年)4月に設置されたもので、多摩川の水位変動の計測の基準点だったと考えられています。標識の上部には文字が刻まれていますが、判読不明な部分があり、一部しか読み取れません。
水量標零點ヨリ
拾尺
明治廿五年四月
神奈川縣廳
水量標識のそばには標識の由来書、鳥居戸(鳥居道)の説明並びに「調布玉川惣画図」が描かれた解説板があります。「調布玉川惣画図」は関戸村の相澤伴主による下絵を基に絵師・長谷川雪堤によって弘化2年(1845年)に描かれた多摩川源流から河口までの絵図です。
一ノ宮の渡しは南多摩郡一ノ宮村と多摩川対岸の北多摩郡四ッ谷村()とを結んだ渡しで、明治13年(1880年)に始まりました。明治22年(1889年)4月1日の市制町村制施行により、一ノ宮村は多摩村に、四ッ谷村は西府村になりました。
昭和12年(1937)年8月の關戸橋開通により一ノ宮の渡しは廃止されました。そして、平成10年(1998年)12月17日に一ノ宮の渡しの生まれ変わりとも言える府中四谷橋が開通しました。
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