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萬代橋【2】

(承前) 木橋の萬代橋は新潟市東西の交通の大動脈を担い、都市の成長・発展に欠かせない存在になってきました。

萬代橋の架け替え

大正11年(1922年)7月12日から新潟市街自動車が新潟駅と白山神社間に乗合自動車の営業を開始しました。それと同時に自動車の往来も増えてきました。老朽化が進んでいた木橋は、自動車が通るたびに敷板が音を立てて飛び上がることから「バッタン橋」と揶揄されるようになりました。

同年(1922年)8月に内務省直轄事業である大河津分水が完成し、通水が開始されました。これにより信濃川下流域の水量が著しく減少し、川幅が約770mから約270mに縮小されました。

聖橋 常盤橋

その上、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災の復興事業で外国人技師により新技術が導入され、架橋技術が格段に進歩しました。この事業で常盤橋(日本橋川)や聖橋(神田川)等が架橋されました。

大正14年(1925年)に内務省都市計画新潟地方委員会が策定した「新潟都市計画」には、萬代橋を架け替え、車道の中央部に路面電車を通す計画が盛り込まれました。

これに基づき、県は内務省復興局に橋梁の設計を委託し、復興局設計課長で東京帝國大学の田中豊教授(明治21年~昭和39年)の指導下で福田武雄助教授(明治35年~昭和56年)が実際の設計を行いました。

萬代橋遠景

橋梁は鉄筋コンクリート造で、6つのアーチと両橋詰部に各1個ずつの小さなアーチから成るアーチ橋として設計されました。この構造が採用されたのは、関東大震災時にアーチ形式の橋の被害が軽微だったことと、河口に近いため潮風による腐食を考慮し維持補修が容易であるからです。

昭和2年(1927年)7月16日に起工式が執り行われました。橋脚の基礎工事には当時の最新技術である空気潜函工法(ニューマチックケーソン工法)が用いられました。この工法はアメリカから導入されたもので、萬代橋では内務省復興局技師の正子重三氏(明治20年~昭和53年)が工事の指揮をとりました。これにより地盤に埋め込まれた高さ15.2m、幅7.9mの巨大な鉄筋コンクリートの基礎が2箇所の橋台基礎と5箇所の橋脚基礎で用いられました。

この基礎工事で発生した砂や砂利は非常に良質でコンクリートの材料として有効活用されました。これにより削減された費用を活用して橋梁本体側面に御影石で化粧張りが施されることになりました。これを含めた装飾の設計には逓信省建築技師で、前述の聖橋を設計した山田守氏(明治27年4月19日~昭和41年6月13日)が担当しました。

3代目萬代橋の開通

萬代橋

昭和4年(1929年)8月23日に3代目となる萬代橋が開通しました。開通当初は橋長170間(309m)、幅員12間(21.8m)でした。橋には幅員2間(3.6m)の歩道と幅員5.5mの新潟電鉄線の軌道敷が設けられました。そして歩道下には電気、瓦斯、水道、電話線などのライフライン用の複数の配管が埋設されました。

橋側灯・水切り 街路灯・親柱

橋の照明灯と橋脚に設けられた橋側灯は南部鋳物で鋳造されたもので、照明灯には併用軌道用の架線フックが付いています。また橋脚には流水圧を緩和するための半球状の構造物「水切り」が設けられています。

橋詰広場

両詰には仮橋や迂回路を設置する場所の確保を想定した橋詰広場が設けられています。親柱には鋳鉄製の銘板が埋め込まれました。

  • 東詰上流側:ばんだいばし
  • 西詰下流側:萬代橋
  • 東詰下流側と西詰上流側:昭和四年六月竣工

戦争や地震等に耐え抜いて

橋側灯

昭和16年8月29日勅令第835号「金屬類囘収令」(昭和18年8月12日勅令第667号で全面改正)により、欄干の鉄柵、照明灯、橋側灯、銘板等の金属類が供出させられました。そして銘板は石製、欄干と照明灯は木製で代用されました。しかし、橋側灯の台座(後背)だけは取り外すことが困難だったため残されました。

昭和30年代に入ると、新潟市周辺で著しい地盤沈下が発生しました。これは地下水に溶融している天然ガスの採取のために揚水量が急増し、地下水位が急激に低下して引き起こされたものです。これにより萬代橋は全体で約1.4mほど沈降し、橋脚の「水切り」の大部分が水面下に没してしまいました。

萬代橋

新潟電鐵の後身である新潟交通は、昭和23年(1948年)5月25日に県庁前-新潟駅前間(万代橋経由)の軌道線工事の施工許可を得ましたが、財政的な問題で着工できませんでした。そして昭和33年(1958年)10月23日に軌道特許が失効しました。これにより軌道敷は車道に転用され、車道が4車線確保されました。

昭和39年(1964年)6月16日13時1分41秒に発生した新潟地震(M7.5)により、新潟市内では甚大な被害が発生しました。信濃川の道路橋梁でも、同年6月1日に開通したばかりの昭和大橋が落橋、昭和37年(1962年)12月1日に開通した八千代橋も損傷が激しく通行不能になりました。これに対し萬代橋は両岸の地盤が約1.2m沈下し、両詰の取付部が破損しましたが、橋梁部は無事でした。

カルバート

地震直後の夜から昼夜突貫で応急復旧工事が施され、6月21日未明に完了しました。その後、同年11月から翌年5月にかけて本復旧工事が行われ、両詰の橋詰広場が仮橋の取付部として利用されました。この工事により、橋長は306.9mと2mほど短くなり、各アーチ等構造物が補強されました。地震で損壊した両詰の小アーチはラーメン構造のボックスカルバートに改造されました。

(続く)

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