向ヶ丘遊園駅舎
向ヶ丘遊園駅は、昭和2年(1927年)4月1日の小田原線開業時に稻田登戸駅として開業しました。
大正12年(1923年)5月1日、利光鶴松氏(文久3年12月29日~昭和20年7月4日)率いる鬼怒川水力電氣株式會社は小田原急行鐵道株式會社を子会社として設立し、利光氏が社長に就任しました。大正14年(1925年)11月10日に起工式を挙行し、新宿-小田原間51マイル(82km)の敷設工事に着手しました。
最初新宿-登戸間十哩を複線とし其の他を單線とする計畫なりしが工事半に至り全線を複線とすることに計畫を変更し、先以て新宿-登戸間十哩、座間-海老名國分間二哩半、伊勢原-大根間三哩、大秦野-澁澤間二哩半、足柄-小田原間一哩の區間を複線とし其の他を單線とする單複混合を以て昭和二年四月一日に全線開通せり。
上記引用文中の「登戸」は稻田登戸を指しています。現在の登戸は開業時は稻田多摩川と呼称していました。そして、昭和2年4月1日に新宿-小田原間の全線が開業しました。
地方鐵道運輸開始
東京市麹町區有樂町一丁目一番地小田原急行鐵道株式會社所屬鐵道新宿、小田原間五十一哩四分本月一日ヨリ旅客運輸營業開始ノ旨届出アリタリ其哩程左ノ如シ
(以下略)
開業後も単線区間の複線化工事が引き続き行われ、昭和2年10月15日に全線で複線化されました。
稻田登戸駅の駅舎はギャンブレル屋根の駅舎で、北口駅舎として現存しています。駅舎の切妻上部の窓上にあるアーチ状の装飾部には小田原急行鐵道時代の社章が残されています。
新原町田(現:町田)、相模厚木(現:本厚木)、大秦野(現:秦野)、新松田もギャンブレル屋根の同型の駅舎でしたが、何れも現存していません。なお相模厚木駅裏口は切妻造の駅舎でした。
稻田登戸駅の開業と同じ日に向ヶ丘遊園が開園しました。その後、昭和30年(1955年)4月1日に向ヶ丘遊園の知名度を上げるために稲田登戸が向ヶ丘遊園に改称されました。
平成14年(2002年)3月31日に向ヶ丘遊園は閉園しましたが、園内のばら苑は川崎市が管理を引き継ぎ、生田緑地ばら苑として春と秋の年2回一般公開されています。
- 【参考文献】
- "地方鐵道運輸開始", 官報, 第80號, p.233 (昭和2年4月8日)
- 編輯部記者: "小田原急行鐵道の開通と今後の事業", 土木建築工事画法, 第3巻第5号, pp.24-25 (昭和2年5月)
- 牧野錠太郎(小田原急行鐵道會社技術部): "小田原急行鐵道工事槪要", 土木建築工事画法, 第3巻第5号, pp.25-30 (昭和2年5月)
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