津田山駅と日本ヒューム管
昭和15年(1940年)、南武鐵道の武藏溝ノ口駅-久地梅林停留場(昭和17年4月16日に駅に昇格)間の南側に日本ヒューム管株式會社(現:日本ヒューム株式会社)川崎工場が鶴見から移転してきました。
昭和16年(1941年)2月5日に工場に隣接して日本ヒューム管前停留場が開業しました。そして、工場への専用線が敷設され、当停留場と久地梅林停留場間が複線化されました。昭和18年(1943年)4月9日に駅に昇格しました。
昭和19年4月1日に南武鐵道が国有化され、同時に日本ヒューム管前は津田山、久地梅林は久地に改称されました。
運輸通信省告示第百十六號
明治四十二年十月鐵道院告示第五十四號國有鐵道線路名稱中左ノ通改正シ昭和十九年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
昭和十九年三月二十九日 運輸通信大臣 五島慶太
一 東海道線ノ部東海道本線ノ行ノ次ニ左ノ如ク加フ
南武線(川崎立川間、尻手濱川崎間及貨物支線)
二 中央線ノ部中央本線ノ行ノ次ニ左ノ如ク加フ
靑梅線(立川御嶽間及貨物支線)
五日市線(立川武藏岩井間、尻手濱川崎間及貨物支線)
運輸通信省告示第百十七號
南武鐵道株式會社及靑梅電氣鐵道株式會社所屬鐵道ヲ買收シ昭和十九年四月一日ヨリ左ノ各號ニ依リ運輸營業ヲ爲ス
昭和十九年三月二十九日 運輸通信大臣 五島慶太一 停車場名、所在地及粁程
(略)
二 前號停車場中營業範圍ニ制限アルモノ左ノ如シ
(略)
(四)旅客手荷物、小荷物扱及貨物ニ限リ取扱ヲ爲ス停車場但シ向河原停車場ニ於ケル車扱貨物中停車場接續專用線發著以外ノモノハ到著ノモノニ限リ又津田山停車場ニ於テハ配達ノ取扱ヲ爲サズ車扱貨物ハ同停車場ニ接續スル專用線ニ發著スルモノニ限ル
南武線 向河原、津田山
(以下略)
津田山駅の駅舎は昭和16年の駅開業時に建てられた木造平屋建の駅舎で、昭和52年(1977年)9月竣工の跨線橋でホームと連絡しています。それまでは構内踏切で連絡しており、その痕跡が今でも残っています。
駅名の由来である津田山は当駅と多摩川の間にある小高い丘で、かつては七面山と呼ばれていました。玉川電氣鐵道株式會社第4代専務取締役であった津田興二氏(明治42年3月11日~昭和3年10月1日在任)が開発を手がけたことから、「津田山」と称されるようになりました。また、第12回夏季オリンピック東京大会(昭和15年、開催返上)の選手村候補地にもなりました。
津田山では大正11年(1922年)に115kV、1回線送電の群馬幹線 (現:川世線、154kV) の鉄塔が建設されましたが、昭和15年(1940年)に2回線鉄塔に建て替えられました。現在、津田山に建っている川世線No.21~No.23鉄塔はこのときに建てられた原型鉄塔ではなく、平成14年(2002年)に建て替えられたものです。
昭和16年(1941年)から昭和18年(1943年)にかけて津田山を潜る平瀬川隧道(流下能力30m³/s)が掘削され、平瀬川が現在の流路に付け替えられました。そして、昭和45年(1970年)に津田山下に並行して2本目のトンネル(流下能力80m³/s)が築造されました。現在、旧坑を流下能力150m³/sの隧道に改修する計画が立てられています。
戦後、津田山駅側の南斜面を中心に宅地化されました。その上、昭和30年(1955年)頃には津田山に切通しが開削され、国道246号が貫くようになりました。その後、交通量の増加に伴い、東京・横浜バイパスの一部として切通しが整備・拡幅され、昭和53年(1978年)12月20日に供用を開始しました。
日本ヒューム管川崎工場の東側部分は昭和55年頃に閉鎖され、川崎市立下作延小学校が昭和58年に開校しました。西側部分は平成3年(1991年)頃閉鎖され、日本ヒューム川崎営業所とスノーヴァ溝の口-R246が入る津田山NHビル(平成11年竣工)、マックスバリュ津田山店(平成15年10月11日開店)、川崎市子ども夢パーク(平成15年7月23日開所)となっています。
府中街道(神奈川県道・東京都道9号川崎府中線)の「久地消防署際」交差点にヒューム管製の道標が建っています。道標には白ペイントで「日本ヒューム管株式會社」「帝国臟器製藥株式會社」と書かれています。
帝国臓器製薬は現在のあすか製薬で、久地駅の近くに川崎研究所があります。社名が旧字体で書かれていることと米軍等の空撮写真から、昭和20年代中頃に建てられたと考えられます。
2017年3月17日に津田山駅の橋上駅舎と自由通路の新設工事の起工式が挙行され、工事が始まりました。橋上駅舎の供用開始は2019年春頃、全体の竣工は2020年春頃の予定となっています。
- 【参考文献】
- 東京急行電鐵株式會社 『東京橫濱電鐵沿革史』 昭和18年3月25日
- "運輸通信省告示第百十六號", 官報, 第5160號, pp.662 (昭和19年3月29日)
- "運輸通信省告示第百十七號", 官報, 第5160號, pp.662-664 (昭和19年3月29日)
- 中川浩一: "南武、青梅、五日市線の歴史的過程", 鉄道ピクトリアル, 568, pp.10-16 (1992年12月)
- 沢柳健一: "昔日の南武線レール・マップ", 鉄道ピクトリアル, 568, 折込 (1992年12月)
- 川崎市建設緑政局道路河川整備部河川課 『一級河川 平瀬川 ~トンネル改修計画~』 平成22年9月30日
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