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駒澤練兵場と日本水道止水栓

地図

明治30年 (1897年) 、荏原郡世田ヶ谷村大字池尻字南町と字中町、駒澤村大字下馬引澤字姥ヶ谷、目黑村大字上目黑字宿山にまたがる一帯に駒澤練兵場が造営されました。その後、練兵場の西側一帯に野砲兵第1聯隊、近衛野砲聯隊、砲兵旅團司令部、野戰重砲兵第8聯隊が置かれ、大山道沿いには軍人やその家族相手の店が軒を並べるようになりました。

糧秣廠 糧秣廠

駒澤練兵場の北端になる池尻2丁目に糧秣廠の馬糧倉庫が2棟残っています。東側の棟はヤマト運輸三宿センター、西側の棟は生活協同組合パルシステム東京の池尻センターとして現用されています。

糧秣とは兵員の食料(糧)と軍馬のまぐさ(秣)のことで、糧秣廠では糧秣の調達や貯蔵などの管理全般を行っていました。馬糧倉庫には軍馬の秣が貯蔵されていました。

境界標 境界標

糧秣廠の西隣の食糧学院と墓地との間に「陸軍用地」と刻まれた境界標が建っています。文字の部分が黒くなっていますが、これは2017年頃に墨入れされたためです。

風景

大正7年 (1918年) のシベリア出兵時に糧秣の調達に困難になり、その改善を目的として陸海軍が中心となって大正14年に財団法人糧友会が設立されました。昭和14年 (1939年) に糧友会は本鄕に食糧学校を開校しました。昭和21年に糧秣廠の縁で現在地に移転し、食糧学院になりました。

解説板 庚申堂

墓地に隣接して庚申塔を延宝8年 (1680年) と元禄5年 (1692年) に造立された石仏2体を祭った池尻庚申堂があります。鳥居のそばには池尻庚申会による解説板が建っています。

風景 止水栓

池尻庚申堂の近くに日本水道株式會社の止水栓が残っています。蓋は今まで発見されているものと同型で、日本水道の社章と「止水栓」の文字が右書きで書かれています。

社章

この辺は玉川電気軌道の池尻電停に近く、昭和初期には軍都世田谷の一翼として発展していましたので、水道が引かれたと考えられます。

【参考文献】
森安彦、三田義春 『世田谷の地名(上)』 昭和59年3月10日
下山照夫 『江戸時代 世田谷の村々』 2009年7月
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【改訂】
墨入れ前の「陸軍用地」境界標石の写真を追加 (2022.11.25)

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