西郷さんと田中さん
左側の標石は地面に相当埋もれた状態ですが、「西郷」の文字が確認できます。その下に半分見え隠れしている文字は「家」と読めそうです。ここからそんなに離れていない目黒川左岸の台地上に西郷従道が住んでいましたが、この標石が彼に関係しているものかは不明です。
右側の背の高い標石の右側の側面に「田中」と刻まれているのが確認できます。他の面には何も刻まれていません。
こちらのサイトには、昭和10年 (1935年) 頃に田中大太郎さんがこの地に住んでいたとの調査結果がありました。
ここの近所の上目黒氷川神社にある「八木」境界石も八木さん個人所有の土地境界を示すものだったかもしれません。
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