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道玄坂地蔵尊と滝坂道の標柱

地蔵尊 風景

円山町一帯はかつて荒木山とも呼ばれていました。大正2年 (1913年) に三業地として指定され、花柳街として発展してきました。花柳街の面影を残す料亭三長の一角に道玄坂地蔵尊が建っています。

由緒 地蔵尊

御本尊は2度の火災で焼かれ、現在の地蔵の中に封じられていることから「火ぶせ地蔵」とも云われています。傍に由緒の木札が建っていますが、地蔵の背後にも昭和25年に書かれた由緒があります。

道玄坂地蔵尊

道玄坂を中心とした一帯に現存する史䟢には 徳川时代の物多く この地蔵尊は宝永三年(紀元二三六六年)の作で その頃道玄坂を起奌とした多摩川畔三十三地蔵㐧一番札所であつた 以前は豊澤地蔵尊と称し●●●●●●中渋谷豊澤の三叉路肩に立つるが 大正四年道玄坂改修工事で撤去路傍に放棄ありしを 高橋三枝殿が努力あれ在地に遷座 道玄坂地蔵尊と改称●● 昭和廾年五月廾五日戦災に並ひ 慈●●究 省に刻れたその三年後の冬季に焼失 [以下略]

昭和廾五年十一月

※ 変体仮名は現代の仮名に書き換え、判読不能な文字は●で表しています。

風景

地蔵は宝永3年 (1706年) に道玄坂と滝坂道の追分に建立されたため、豐澤地蔵と呼ばれていました。大正4年 (1915年) の道玄坂改修工事の際に料亭三長の創業者である高橋三枝さんの尽力によりこの地に遷座したという経緯があります。

かつて地蔵が建っていた追分には、2016年に滝坂道の標柱が設置されました。

滝坂道

滝坂道(甲州街道出道)は、かつての大山道が道玄坂から分岐をし、武蔵国府のあった府中に向かっていた古道で、その起源は江戸幕府が開府する前からと考えられています。滝坂道は、目黒区の北部を通り、世田谷区を横断して、調布市で甲州街道に合流します。名称の由来は、甲州街道の滝坂で合流することから滝坂道と呼ばれたようです。現在は、裏渋谷通りの愛称で親しまれています。

平成二十八年度 渋谷区教育委員会

【参考文献】
澁谷町役場 『澁谷町字名地番改正誌』 昭和3年12月12日
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