玉電ビル、解体へ
玉電ビルは鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階・地下2階で計画されました。しかし戦時体制の強化に伴い、地上4階、地下2階と規模を縮小し、昭和13年 (1938年) 12月に竣工しました。
昭和29年 (1954年) に東急会館(西館)として11階建に増築されました。昭和45年 (1970年) に8階建の渋谷駅西口ビル(南館)が完成し、東急百貨店東横店は東館・西館・南館の3館体制になりました。
東館は2013年3月31日に閉館・解体されました。西館と南館も2020年3月31日に営業終了し、東横店は完全閉店しました。そして、2020年10月から西館と南館の解体工事が始まりました。
2022年7月の時点で、西館は増築部分が完全に解体撤去され、玉電ビルの骨格が約70年ぶりに再び日の目を見るようになりました。一方、南館は5階以上が解体撤去されていました。
東急プラザ渋谷17階の "SHIBU NIWA" からは玉電ビルの構造物を上から見ることができました。昭和13年の竣工当時の玉電ビルはこのような形状だったと思われます。
8月には新たに足場が設けられ、銀座線の渋谷車庫への回送線に影響を与えないように高架橋を改築していく工事が始まりました。高架橋に直接関係しない北側の部分は解体されるようです。
車庫へは渋谷駅2番線から単線で引き込まれていて、線路が旧降車ホーム側を通る線形になっているのが確認できます。また、旧降車ホームの跡も確認することができます。
渋谷駅西口広場は、明治40年 (1907年) 8月11日の澁谷-玉川間全通時の澁谷駅と砂利集積場の跡地で、昭和11年4月24日に都市計画として告示されました。戦前は実現しませんでしたが、昭和22年の空撮写真では存在が確認できます。
- 【参考文献】
- 為国孝敏、榛沢芳雄: "渋谷の駅空間形成の変遷", 土木史研究, 10, pp.289-297(1990年6月)
- 為国孝敏、榛沢芳雄: "鉄道が都市の発展に与えた影響に関する史的研究 ‐渋谷を中心として‐", 土木史研究, 12, pp.65-79(1992年6月)
- 東京市役所 『東京市道路誌』 昭和14年3月30日
- 東京急行電鐵株式會社 『東京橫濱電鐵沿革史』 昭和18年3月25日
- 世田谷区立郷土資料館 『玉電 - 玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ』 平成元年12月13日
- 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 『開館記念特別展「ハチ公の見た渋谷」展』 平成17年7月9日
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- 【改訂】
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