東京電燈のマンホール
明治29年 (1896年) に東京府東京市淺草區淺草南元町に建設していた浅草火力発電所(現:東京都台東区蔵前・東京電力蔵前変電所)が竣工し、交流送電を開始しました。このとき、ドイツAEG社製交流50Hz発電機が導入されました。
この間の1895年に経営権が甲州財閥の若尾逸平氏に移りました。大正時代には各地で電力会社が設立され、激しい競争があり、ライバルとなる電力会社を次々と買収・統合していきました。これにより、大正末期には五大電力会社(東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力)の1つになりました。
しかし、一連の企業買収や関東大震災による被害により経営不振に陥り、昭和2年 (1927年) に三井財閥の池田成彬氏により郷誠之助氏と小林一三氏が取締役に就任しました。1930年に若尾一族を追い出し、社長が郷氏、副社長が小林氏の布陣で再建に当たりました。
昭和16年8月30日勅令第832号「配電統制令」が発布され、日本發送電株式會社と關東配電株式會社に施設・設備や人員を供出することになり、翌昭和17年4月1日に関東配電に吸収合併されてしまいました。
皇居桔梗門近くの皇居外苑に、東京電燈のマンホールが残っています。鉄蓋の中央には社章と「東電」の文字があります。東京電燈の社章の発電機コイルは6極ですが、鉄蓋では8極となっています。
マンホールは桔梗濠に面した歩道上にあり、濠の対岸には江戸時代に築造され、関東大震災で損壊した後に解体復元された巽櫓が建っています。巽櫓の名称は江戸城本丸の南東の方角(辰巳=巽)にあることから名付けられ、桜田巽二重櫓とも呼ばれています。
- 【参考文献】
- 東京電燈株式會社 『東京電燈株式會社開業五十年史』 昭和11年8月23日
- 東洋經濟新報社 『第十四回 株式會社年鑑 昭和十一年度版』 昭和11年10月15日
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